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関西の「いじり」と「いじめ」

 

 

今、自分は、何に関心があって、面白くて、集中をしているか?

 

これまで、自分にはできなかった「こと」を

やってしまう「人=多数派」を演じてみようと、試みている。

「演技」を超えた「演技」ができることが、自分の特性だと思っている。

 

 

今、年末の慌しい時期を避けるためにも、大阪の何人かの知人を訪れている。

ご挨拶やら、お酒を飲む時間をいただいて、申し訳ないことに

自分全開で、一方的に楽しい時間をいただいてしまってもいる。

 

今回、何人もの方とお話をしたことは「いじり」であった。

と言うのは、

「いじめ」のきっかけは、「いじり」に反応できないことが問題ではないか。

と疑問があった。

 

「いじり」に関連して、とてもわかりやすく説明いただいたことは

関西人は

「仲間と楽しく歓談をしていても、常にその周囲の知らない人にも聞かれていると意識している。」

「高度なのは、話がポンポン切り替わっても、数十分、数時間後に話の元に戻せること、それはとても高度である。」

「それなのに、関東の人は、言語での理解をして、返事をするから(マジレス)、冷たいと思う。」

うん、なるほどと思った。(と言う意味で、冷たい)

 

発達障害で「言語」が高かったり、

かつての私のように二次障害が重い場合

文脈や、会話の流れ全体を掴むことが難しく、ピンポイントで反応しすぎる。

自分は、単語レベルで、良い言葉ではない、と思い

なぜ、この場面でそのような言葉を使うかと、深読みしすぎていた。

その場の人々の表情や、感情に対し、怒りまくることがあった。

 

だが

反応をして、自分が思っている方向に、「ボケ」ながら集団を持っていくこと。

あるいは、反応をあえてずれて(ボケてみて)、よい方向に導く発想があれば

大ごとにはならなかったかもしれない。

そのように思った。

つまり、

「ボケとツッコミのような劇場型のコミュニティ」の気持ちのイメージがなかった

あるいは、

「常に、本当のこと、真実なこと」を考えている、無駄のない人である。

と、思う。

 

「ボケとツッコミのような劇場型のコミュニティ」を求めているのに

意味で返事をしてしまうと、

「いじり」のテンポや速度に対して、考える時間がかかり

適切に反応できないことが、大きな問題だと考えている。

特に、相手の伝える意味を考えれば考えるほど、言語の正確さを深読みし

「バカにしやがって」になってしまう。

 

実は、今年の夏頃から

自分は、「いじり」が苦手であること、知り合いは無意識で察知しているので

知らない人を対象に、「いじり返し」あるいは、

この人には「ツッコミを入れて」大丈夫か、飲み屋で練習をしていた。

施設で、児童をみていて、「多弁」で「ADHD」全開のまま飲み屋に行く。

 

初めて知り合った(私のことを知らない)

「ほろ酔いな方」に対し、ADHD的な話の飛躍速度を使って

反応を爆速・素早くボケたり、適度にツッコミをする。

今までにないぐらい、初体験な喜びに変わった。

 

恐ろしいことは、そのキャラクターを

一生やらないといけない。と思うと、かなり面倒でもある。

「いじられキャラ」の延長線上でSNSにも、その様子で友達申請が来ると

「ジャイアンとして」腹がたつわけだ。(場面をわきまえろよと。)

 

それでも、多分、頭の中に、考え事や企画など、

「未来への心配が抜けた」あるいは

「自分ということを捨てて、受動的に周囲への同調を一番とする生き方の指針」

もっとはっきり言えば

「場当たり的に生きる」という気持ち

をもてば、ADHDの特性を使い、爆速のボケとツッコミ返しはできそうだと、気が付いた。

しばらく体感をして、「なぜ、いじりからいじめになるのか」研究をしようと思っている。

 

・・・しかし、そのイメージチェンジをした自分に対して、

息子から、それでは普通の45歳のおじさんとなんら変わらぬ。

(その姿は、みたくない)と思っているようだ。

そう、一度やってしまったら、スタイルを続けなくてはいけないから。

 

高知能な凸凹の問題は、仮想でモードをいくつも持てることでもある。

後藤先生は、多数派以上に、多数派となったADHDと伝えられた。

それは、違う立場で、多数派を分析をし続けること、過集中していることが楽しい。

 

人によっては、サイコパスと自分に言われても、仕方ないかもしれない。

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