ドーユーラボのあたらしい会社について

 

 

こんにちは、社長(南雲)です。

 

報告がありまして、ドーユーラボは、職員が共同で運営をする「DYL株式会社(ディーワイエルかぶしきがいしゃ)」に11月1日に引き継ぎます。そして、社長は創業者(かっこよくつたえると、ファウンダー)、または「デジタルおじさん」として、児童や学生のみなさんと、今まで以上に一緒に楽しく学んでいきたいと考えております。

今回の経緯として、もともと社長は、東京(横浜)から、沖縄に通っていて、いつか戻らないといけないので、開設当初より、「地産地教」として、沖縄の皆さんに継承をする予定でした。コロナ禍を乗り越え、なはを開設できたこともあり、N(元・主任)社長と4名の取締役、職員全員が完全に運営をするDYL株式会社に継承をすることにいたしました。

施設の運営は、これまでと全くかわらず、沖縄のみなさんの経営によって、ドーユーラボが運営されます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

創業のきっかけをふりかえれば、沖縄リハビリテーションセンター病院の後藤先生に、私の発達障害に関連し、得意・苦手な部分に凸凹を持つ子供たちについても、指導いただいたことです。

2014年ごろで、40歳をすぎた私は、いろいろなことに、疲れ切ってしまってギリギリの状態でした。

ところが、後藤先生から心理について指導をいただいたことが、面白くなってしまい、沖縄で子供の頃の私にような児童や学生と出会ったこともきっかけで、得意な才能を持つ、児童も、学生も、大人も当事者で運営をして、仲間を育てる施設を開設しようと発起いたしました。

 

ゲーム作り、専門的なことを学べる放課後デイは、当初は非常に困難でしたが、開設まで後藤先生に見ていただいたことで、N主任、Kさん、Kさんに出会い、私の描いていたイメージを100%実現することができました。2018年から2019年になります。

沖縄のみなさんの”島を愛する力”があるからこそ、施設が順調に拡大したものと思います。

ドーユーラボの才能溢れる子供たちが、仲間と楽しめたり、夢中になれることを探したり、興味のあることに集中できる環境ができたことは、

保護者、教育委員会・地域の学校、病院、自治体、相談員の皆さんの多大なる理解、そして、きっかけを作ってくださった、後藤先生のお力があってのことです。誠にありがとうございます。

 

私が最近思うことや、私の話になりますが

「島を愛する力」として、うちなーんちゅが、当たり前すぎて気づいてないことがあります。

見知らぬうちなーんちゅが、褒められても、(その人を全く知らない)他の人がお礼を伝えてくれます。沖縄を愛することを伝えると、多くの沖縄の人は、自分のことのように、ありがとうと伝えてくれます。沖縄のことは全て自分のことなのです。

東京の人に、全く知らない東京のことにつして、ほめたとしても、「ありがとねぇ」 とは返してくれません。

島のことは、私のことであり、行政も学校も、地域の相談員の方も、他の保護者も、一体となって、自分のことのように喜んだり、悲しんだりして、支援を当たり前のようにすることは、他の地域では難しいことのように思います。

 

 

かつて、今頃・・・秋になると、自転車で那覇から比屋根へ向かっておりました。

ライカムから泡瀬の遠浅な海岸を目標に、ざーっと長い坂を下ると、うるまの勝連から伊江島を遠くに見て、「なんくるないさー」と感じました。遠浅の海の色は、自分の気持ちのようで、天気の良い日は青緑ですし、曇りの日は、悲しい色です。毎日海の色は変わっていきます。

海の色に気付けない時は、自分の心が曇っている時です。海の色をみて、わーっと叫んでブレーキを使わずに自転車を漕ぐ時は、全開なモードの自分でした。

先日、東京に戻る飛行機は、東海岸をぐるっと回り、与那原から、中城湾、泡瀬、勝連上空を飛行していきました。島の中で、たくさんの子供たち、家庭が切磋琢磨していること、ドーユーラボも、中部南部に展開できたこと、自転車で秋から冬にまわったこと、2014年からの映像が頭の中に出てきて、ぽろっとしました。

最初は、学校で校長先生や担任の先生とお話をしたり、ドーユーラボの通所で学校の出席扱いにしていただいたり、子供たちが、高校に進学をしたり、良いことが続きました。東京で、ゲームやIT、音楽を作る生活では、経験できなかったことで・・・・。東京の世界へと戻る私は、映画の1シーンのように、記憶が蘇りながら、都会に引き戻されるようです。

体が2つあれば・・・・として、この島に同時にいたい気持ちも昂ります。

 

 

職員が増えるとともに、「社長」として、経営の立場に寄りましたが、「なんくるないさー」沖縄のみんなで施設運営ができていること、本当に嬉しく思っています。今は、再び、贅沢なことに、立場が変わり、再び児童に接する機会がまた増えれば、嬉しい限りです。やはり、島から離れたくないのです。

今後も、デジタルおじさんとして、面白いことを一緒にチャレンジしますので、よろしくお願いいたします。

 

 

 

「ドーユーポイント」について

良いことをしていこう!として、ポイント制度の見える化の報酬システムでしたが、残念ながら、福祉施設としては、認められておらず、これまでは私の方で捻出していました。よって、新しい会社では、「ドーユーポイント」を引き継ぐことができずにおりまして、これまで頑張ったみんなには、責任を持って、還元・交換をしております。大変申し訳ございませんが、よろしくお願いします。

3 Responses

  • こんにちは。南雲さん沖縄にドーユーラボを作ってくださりありがとうございます。*****の母です。また、後藤先生に巡りあわせて下さりありがとうございます。*****は、*****高校の*****学科に行ってます。2年生です。聴覚過敏や感覚過敏などでクラスで勉強することが厳しかったのですが、後藤先生のお手紙や合理的配慮の話を教えて下ったので学校の校長先生に話しリモート授業受ける事ができました。ドーユーラボが無かったら実現出来なかったでしょう。いろいろ勉強させて頂きありがとうございました。

  • 初めまして。うちの子は、沖縄県の9才の公立の4年生です。
    まだ検査はしてませんが、彼は「ギフテット」だと思います。3歳半の時に違いに気付き、ギフテットの本と出会い、彼がギフテットかもと言うことに気付きました。
    日本では、ギフテットの認知が少なく、「アスペルガー」と片付けられてしまいがちです
    彼は、学校はとても辛いらしく、友達との会話も合わなかったりと、とても苦しそうに見えます。
    早い段階で、彼にあった教育をさせたいのですが、何かアドバイスはありますか?
    勉強面では、4年生の終わりまで進んでおり、図書館の本も読み尽くし、刺激?がないのか、生き生きしてません…何か教育法があれば、おしえて下さい。

    • コメントありがとうございます。
      この記事を書いた南雲前社長に変わり、中園が回答いたしますね。
      前提としまして、我々はお医者さんの診断結果をもとにそれぞれの特性に合った支援に努めていますので、ご希望の回答にはならない可能性もあることをご了承ください。
      中学・高校の進学校や高専、大学の学園祭や、OISTに何度も連れて行き「ここは自分の好きな事・やりたい事だけを勉強するところで、更にあなたと話しが合うであろう友達がいっぱい集まるんだよ」と言うのはどうでしょうか。
      あくまでも学校はそこへ行く為の手段、既に終えた学習の復習の時間、と割り切ってくれると良いですね。
      私事で恐縮ですが、大人になってからADHDと診断された事で、「私はマイノリティなので周りと話が合わないのは当然だな」と安心しましたし、「学生の頃に診断されていればあんな苦労せずに済んだのか…?」と思うこともあります。
      それから、もし読み尽くしたという図書館が学校の図書館のことであれば、市町村や県立図書館の本を読み尽くす事に挑戦するのはいかがでしょう。
      住んでいる市町村の図書館をコンプリートしたら隣の、または県立図書館、あるいは膨大な専門的な本を揃えた沖国大や琉大の図書館に行ってみるなど、良い刺激になりませんか。

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