音楽のたのしさ

 

父兄と、児童・学生のみなさん、こんにちは。最近沖縄にいけないので、ブログで近況として、

音楽のお話をお伝えします。

 

音楽ドリルは、毎週金曜日17:00から、東京や横浜から比屋根のドーユーラボに中継をしています。

たのしいイントロクイズや効果音クイズを織り交ぜながら、音楽教育の入門編を含めています。

作曲めちゃぶり

やった!と思うことがあります。子供達は、理論や学びではなく、遊びの延長線上で、作曲!をしてしまっているのです。しかも、PCのキーボードで、今までの音楽の発想ではない、新しいアプローチでカチコチ作曲しています。子供達は当たり前にやっていますが、これは、ものすごいことなのです。HHくんは、MIDIキーボードを取り出しまして、小室哲哉さんのように見えてきました。RMくんは、全体をみながら、じっくり作り出します。貫禄あります。HMくんは、たのしそうな表情だと、集中入っているなと思います。

僕にとっては、音楽は何かを変えると思って、実験の場です。

音楽をやることは、目に見えないけれども頭の中で想像をする空間ができて、日常生活でも行動や実行をする際に、キャッシュメモリ(一旦間というかウェイトをいれる)、衝動性が下がるのではないかなと思っています。

僕自身の仮説ですが、目で見えるものだけではない、見えないことへの意識を早期に高めれば、他者の気持ちや心の存在を意識できて、多動や他者の心の理論をケアできるのではないかなと思います。

音楽をやる、やらないに関わらず、音楽ドリルはぜひ皆さんに参加していただきたいと考えています。

 

私と、音楽の経験について、お伝えしたいと思います。幼稚園の頃、コンピューター風なテクノな音楽YellowMagicOrchestra(1978〜)が大流行しました。パソコンやファミコン(ファミリーベーシック)にある、音が出せる機能を使って、コピーをしたり、作曲をすることから始めました。

当時は、ブザーのような、操作の警告のための音しかでないパソコンもあって、中学生の頃には、ブザーの振幅を変化をさせて、学校の校歌や、簡単な音楽を作り、カセットテープにダビングをして、たくさんの音を重ねました。

 

今思えば、吃音がきっかけ

人前で話しづらい、吃音が重くなりました。当時はうまく説明できなかったのですが、話しにくい語句や単語を使わなくてはいけない場面で、類語に置き換える作業をしていました。今でも健康診断の際に、十二指腸潰瘍の跡があり、高校生まではかなりきつかったのだと思います。

この作業によって、年齢とともに、吃音は軽減したように周囲は見えたのでしょう。ところが、頭の中は、自分が話すであろう言葉を、あらかじめ頭の中で置き換えるので、周囲へは意味は通じるけれども、遠回しすぎでした。大江健三郎さんのお話の仕方は、似た感じがします。

かなり先に話す内容も、サーチをして、その言葉の置き換えを会話の中でしていました。僕の先読みや、未来への察し、頭の多動は、幼少期から続く吃音がポイントだったと思います。でも、この力で、想像力や思考力が生まれたのかもしれません。悪いこと、弱点は、プラスにもなるとも、今は考えられます。

先日、実験的に心理士の方との雑談で、「今、このような会話をしているが、数秒後、数分後にこのような分野の話をして、その時に、出てくる単語の、これとこれが今でも単語が出にくいのだよね。」と伝えたら驚かれました。相手とこのような話の展開になるであろうことを、先読みできていて、僕は、多くの人は普通にできることと勘違いしていました。

将来、自分は大人になれるだろうか。仕事の不安もあって、話さなくて良い仕事は、音楽家じゃないかと思って、音楽を夢中になってやりました。

今思えば、音楽を作ることのほうが、相当大変なのですが、吃音にならないように、あらかじめ自分が話す単語を先読みできる僕の脳みそは、想像や妄想のメモリ空間が拡大しました。多分、妙にIQが高い要素は、この影響が強いと思います。

 

ピアノ練習と分析

10代を過ぎ、ピアノを猛烈に習って、なんとか音楽大学の受験レベルにはなりました。ただ、先生には、人が見ていたり、聴いていると緊張をしているけれども自分だけで楽しそうに弾いているときは、音がとても綺麗だと褒められました。吃音と関係するように思います。

僕は、常に考え過ぎながらピアノを弾いているように見えるので、譜面を分析をしてみたらどうか。として、バッハのインベンションといった入門の楽曲を、図形のように捉えて、曲の構造を理解しました。

一般的には、音楽を学ぶことは遅かったのですが、ソルフェージュ、聴音、作曲を、16歳から猛烈に習いながら、シンセサイザーを使って、作曲を始めました。並行して、バンド活動も開始です。

実験的な現代音楽に至るまで、構造を分析をして、「この曲のこの部分はどうやっているのか」なんども聴いて、ピアノで再現をすることが、楽しくなりました。理論よりも、耳で聴いて解析をすることが早かったので、学んだ対位法や和声といった技法は、難しくなかったのです。

 

周囲はびっくり

音楽過集中は、20代まで続きましたが、コンピュータ好きな自分が音楽をやるとは、家族も周囲も驚いたと思います。僕にとっては、自然なことだったのですが、高校生ぐらいからAppleのラジオCMで僕の曲を使ってくださって、自信がついてきました。作曲の先生も、曲の構造に驚いていただいて、大学受験をやめて、フリーターになりました。

 

不適応は才能を伸ばす

僕は、フリーターの時に、幸いなことに、色々な音楽の作品や実績を積み重ねることができました。当時の学歴は高卒でしたが、ゲーム会社に落ち着いて、ゲームの音楽を作ることができました。

厳しい先輩の指導を受けて、会社だけれども、自分の好きな音楽を提案をしよう!と思って、ゲーム機のアメコミ風な曲を書いて、僕もマイクで歌ってみました。とても評価をしていただいて、すきなことを、コンセプトに合わせれば良いと思いました。

音楽ゲームを作った頃には、ピコピコなサウンドから、CDのような音質になったので、ブラスバンドであったり、クラシックのような管弦楽なアレンジができたり、フリータ時代の経験もあり、歌の収録やディレクションなどスムーズにできました。

全能感があって、子供の頃からやってきた、音楽やプログラムなど総合的な経験が役に立ちました。

会社の中で出世も早かったのですが、新しいことにチャレンジをしたい。

と思った反面、今考えれば、社会人になって、評価をされて、猛烈な吃音が軽減して、子供の頃から続いていた悩みがなくなったのです。

不適応や苦手なことの克服は、別の長所や得意な部分で自分を補おうとする力も生まれるので、悩みをすぎると大きな力になると思います。

ギフテッドが、もし自分だとすると非常におこがましいのですが、欠点や、苦手を補うための別の部分での努力・興味が関係あると思います。悩み事や、ストレスが解消したり、周囲や大人に認められたら、僕の経験からすると、安心の気持ちが生まれて、不適応の衝動性や力が消えてしまうと思うのです。ギフテッドの才能は、周囲に合わせられないストレスで、低い特性を、高い特性で補おうとして、猛烈に成長をするピンポイントがあると、自分の経験から思います。

私が微妙なバランスをとっていることは、子供達が、のびのびと、あまりしつけをせずに、僕が育った環境も例にして再現することが、楽しい仕事、明るい将来に繋がると思っています。

 

僕は、19日から衝動的に、アプリのプレゼンテーションと、ゲームショウ参加で、ニューヨーク、ロンドン、ストックホルム、エストニア、ポーランド、ベルリン、ヴェネツィア、ロンドンにいってきます。多動を取り戻します。

 

私の夏休みの宿題として、書き上げました。(本文中の例は、多少変えています。) https://note.mu/djnagureo

 

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