Last Updated on 2021-03-02 by djnagureo
RBC NEWS「未来へのみちしるべ」の取材に参加くださいまして、ありがとうございました。日常のドーユーラボよりもちょっと静かに感じましたが(笑)、聡明で、いつもの楽しい感じが映っていました。
”シャチョー”は、障害を中心とした好ましくない方向だったら、と心配をしておりました。テレビスタッフのみなさんは、ドーユーラボの方針を良くご理解くださいました。本当に良い番組でした。
沖縄県内でドーユーラボを3施設つくることが目標でしたので、職員を探す目的で、取材をうけるようにしております。
さて、私は、「発達障害」について、前向きな理解をしています。後藤先生が長年指導してくださったことで発達障害を学ぶこと、とても楽しくなっています。でも、これから告知を受けたり、保護者の立場に立った想像をすると、複雑にも感じています。でも、自分だけのことを伝えると、東京から1,500Km離れた沖縄で、児童や職員、保護者のみなさんと会えたこと、沖縄で生活をしていることも、人生の大きな大きな、チャンスや可能性を感じてます。心からADHDの自分を気に入っています。もちろん、誰もがそうだとは思わないので、繰り返し伝えると複雑な思いもあります。
テレビ番組を補足する形で、「好きなことに夢中」な、ADHDに関することをお伝えします。
私が24歳のころ、6人ぐらいの開発メンバーで音楽ゲームをいくつか立ち上げました。当時は、音楽ゲームという分野がありませんでした。はじめてのことで、この後に、何万人、何百万人の知らない人が、自分たちが作ったゲームで遊んでくれるようになりました。本当に感動でした。
当時、ゲームを作ることだけではなく、子供の頃に学んだことや好きなことが、仕事に活用できました。音楽も、プログラムも、アートも、シナリオも・・・・ドーユーラボでドリルをやろう!とした、きっかけです。私は、20代の頃、大きなゲーム会社と、プレステを作っている世界的に有名な会社で、約10年間働くことができました。
最近、思い返せば、私が活躍できる会社に入社する前に、アルバイトでいじめにあった時期がありました。大手ゲーム会社に入る前の19歳の頃、小さなゲーム会社にいました。短い間しかいませんでしたが、大変な目に遭いました。自分よりも技術を知らないのに、開発経験があるような振る舞いをする人がたくさんいました。(一応自己ツッコミしておくと、この表現がジャイアンですし、上から目線で話をすると、子供の頃は父親からぶん殴られました)
多少知識があった私に対して、攻撃的にいじめたのです。今であれば、パワハラになったのかもしれません。
ところが、私は得意の「ボケる技術」によって、知っていても知らないふりをしなさいと、教えられたことを思い出し、難局を乗り越えましたが、こんな会社は嫌だと、すぐに職場を変えることにしました。幸い、大手ゲーム会社に入社をして、ヒット作を産むことができたので、ジャイアン風に「転職をして、自分の実力が正当に評価された」仕返しをしたと、思いました。本当のこと、良いことを知っていた、自分の方が正しいとしても、周りに合わせて下げたり、できないふりをして、とりあえずうまく周囲に合わせていたのですが、当たり障りなく振る舞いをして、可能性を見出せなかったので、別の理由を伝えて、仕事を変えました。この後は、仕事でいじめられることはなくなります。
大きな会社に入って、作ったゲームがヒットしたことによって、お給料をいただくことができました。
借金の取り立てが来るような激しい家庭で育ったので、20代前半で、真逆にとても良い生活を手にすることができました。好きだった車も、フェラーリを買うか、ホンダNSXを買うか迷ったぐらいです。マンションを買って、結婚をして、自分のお金で大学に29歳で進学をしました。「自分はこうあえるべき」という、目標が高くて、欲が深いことがジャイアンだと思っていますが、成長のためにはジャイアン力は必要だなと思っています。
この後、スマートフォンの開発でアメリカへ行ったり、ゲームの提供でイタリアやフランスの会社と言葉が喋れないのに、現地で契約をしたりして、多動に仕事をしてきました。
30代になると、20代の音楽ゲームの成功は、偶然ではないか?と不安に思い、それを超える成功を目指しました。結果としては、今、みなさんと会うことができています。20代の音楽ゲームの成功、その後スマートフォンのアプリや、ドーユーラボも含めて、「ゼロから新しいことをうむ」成功体験が自分の気持ちの支えです。
13年前の記事がありました。リンク
私の両親ですが、今思えば、私以上に多動で、お金がなくなったり、それによって怖いおじさんからの電話がきたり、自己破産をしたりして、波乱万丈でした。家がなくなることというのは、本当にキツイことでした。卒業写真や大事なものも失いました。それでも、不器用な親でしたが、子育てには懸命で、僕が欲しいもの、必要なものを用意してくれて、たくさん学べる環境があったことは、本当にありがたく思います。
ですが、中学生で十二指腸潰瘍になったりしていたので、大人になってからが僕は楽だったのです。入社が難しい人気のある大手の会社の中、レベルが高い人の中で好きなことをやっていると、困らなかったのです。
僕の息子も、みなさんと同じように、年齢よりも高めの音楽や機材、SNSなどを早期に与えて、いろいろな経験をさせたと思っています。テレビ番組で伝えたことは、僕自身が息子と一緒になって遊んで育てた経験が全てなのです。後悔は・・・・娘もおりますが、女心がわからずにおりまして、幼い頃はお父さんが遊んでくれなくて悲しかったとも言われますので(笑)、今は、女児向けの楽しいことを充実させてはいます。(反省)
子供の頃に、好きなことをやって、大人になった時に得意なことを仕事にすれば、困らないのです。番組で伝えたことは、僕の経験そのものです。
私は、ADHDですけれども、作曲家からゲームクリエイター、スマホアプリ、マッチングアプリ、ドーユーラボとぶっ飛んで事業をやっているのですから!正直なことなのですよね。