スウェーデンのインクルーシブ教育

Last Updated on 2019-08-23 by djnagureo

 

スウェーデンにおります。ADHD当事者のご両親にお話を聞いたり、ドーユーラボのような教室を見学して参加したり、のんびり時間を過ごしておりますが、考えてみれば仕事は楽しみ、興味は仕事です。旅と研究を進めるために、概要だけお伝えして、帰国後にまとまます。

私のことをお伝えすると、長年、「休まず止まらず」のハイパーで、血圧が高くなっていて、3か月減塩生活をおこない、180/120の最悪な時期から、120/80に降圧することができました。これまで、思考が止まらず、常に将来のことを用意したり、先回りしすぎて、体が疲弊していましたが、最近は10キロランニングも再開して、体調がよくなってきました。

常に子供のころから、「今がない」「その瞬間に自分はいない」自分の改革でもあり、本来の自分らしく衝動的に戻し、「シングルタスク」、ロング・ステージ(長生き)で、将来に備えようとする、生活習慣を見直しています。

「ADHDの悪い特性」をむしろ受け入れて、社会での折り合いをつけるという、実験的な意識に転向しようとしています。最低限の計画だけを立てて、行き当たりばったりで、トラブルが起きてもパスポートがあればなんとかなるとして、活動しています。

サンフランシスコ(シリコンバレー)で乗ってみましたが、スウェーデンにも、limeが流行っていまして、かなり楽しかったです。

 

インクルーシブ教育は昭和にもどる?

スウェーデンのADHD当事者のご両親のお話を聞きました。ポイントは、

・日本と同様で、発達障害の診察を受けるまでに数か月要する。専門医が足りない。

・自閉症スペクトラム(旧ASD)やADHDは、発達障害とは呼ばない。発達障害とは、IQ70以下を指す。

・発達障害(この国ではIQ70以下を指す)は、障がい児童のクラス

・食事の研究がおおい(気がする)

・インクルーシブ教育として、ASDやADHDの児童は、一般クラスに参加をして、ADHD児童に対して1名のサポートできるスタッフが付く。

※ドイツが一番研究が進んでいるかもしれないと、助言をいただきました。

インクルーシブ教育の考え方は、ASDやADHDのような児童に対して、一般児童や先生などが特性を学び、合理的配慮をする。当事者児童も同じクラスにいるといった帰属意識を互いに持てる。クラスの全員は(多数派)凸凹や性的なマイノリティも、いろいろな人をを配慮しよう、といったユニバーサルな思想があります。

私は、LGBTも含めて、マイノリティを社会全体が理解をしたり、配慮をすることはとても素晴らしいし、本質に向かっていると思いました。そして、日本のスクールカウンセラー制度の導入は良い面はもちろんありましたが、ハンディキャップを持つ児童を単一に「障害児クラス」に入れてしまうことにより、学習の遅延が非常に目立ち、これはまずいと思っております。やんばる先生も、強くおっしゃられています。

インクルーシブ教育は、よく考えると、「私の子供のころに戻りつつ、周囲の配慮がプラグインされた。」とか、児童に多様化を理解させる「合理的な配慮」、「環境にフィットすれば、凸凹ではなくなる。」

その通りと思いました。

 

児童の研究

児童が研究をして、何かを作っています。スウェーデン語なのでよくわかりませんでした。とびぬけてそうな児童。

なにやら、いろいろやっています。ドーユーラボのようですね。でも、よくわかりませんでした。

 

ASDとADHDは、異なる

私も含めて、診察によってはASDになったり、ADHDになったりした経緯もあるのですが、日本と比べると、診断基準が明確になっていて、支援機関がはっきり分かれています。

ADHDについては、専門の機関や、企業のバックアップを受けた団体がありました。

この団体は、ストックホルム中央駅に近い場所にあります。ドーユーラボは、大方私財をきっかけに運営していますが、より安定性と、日本の多くの児童への展開を考えると、大企業が入ること「それもありだな」と、思ってきました。私は「発達障害に関する研究・現場の知識が全く足りておらず、答えが見えない。企業が入ってバックアップするまでにも至っていない。」としていて、慎重でした。

私が当事者として、伝えるならば、一般の放課後デイも我々について、あまり理解できていないなと、思うこともあります。高知能な当事者は、根源をしっかり調べたいと思いますが、現場に携わる人は、介護的な行動に関する支援が強いものの、メンタル面の裏付けや原理、心理学や教育系のインテリジェンスがないと難しいよも思います。ASDも、ADHDも支援体制が異なることを、スウェーデンではしっかり熟知されており、わかれているような気がしました。下記が代表的な団体です。

 

https://www.slso.sll.se/

https://www.autism.se/stockholm

http://underbaraadhd サムスンが支援しています。

 

 

発達障害に関する大衆記事

スウェーデンでも、発達障害についての学術的な理解や、診断基準が分からず、医師(町)によってムラがあるとのことで、日本と同様に思います。

大衆向けには、日本のニュースサイトなどで、「職場の困った人たち!」などの記事や、TECH系なニュースでもエビデンスが良くわからない、発達障害に関する無責任な専門記事が多かったり、逆に、症状として「わかりやすく」「同じような」症例が、手段や伝え方を変えてネットにあふれかえています。当事者として、どの記事も内容が一緒でつまらないと思う反面、特性ゆえに当事者は、同じような内容の記事を読んで満足をする人も多かったり、ブログで言語的に他者に伝えたい一心で、表層的で専門性低く、あまり研究は進んでいないなとも思います。

よって、専門家による(読んでも一般の人には理解が難しい)最新の論文を、大衆化する機関やメディアがあればよいのではないか、と考えました。(発達障害に関するジャンクな記事が多いことと、それによって、毎回賛同をしすぎる当事者が多く、前進していないような感じが私にあります。)

スウェーデンは、民間団体でも、エヴィデンスをもとにしており、しっかりしていると思いました。

Föreläsningar

当事者、児童

お話を聞いていると、福祉国家のイメージがある北欧の国に期待をしていたのですが、日本と状況は変わらないなと思ったこと、具体的には

・将来の就労について、明確なイメージがない。

・「インクルーシブ教育」の考え方は、日本にはあまりない。ドーユーラボのみんなのように、知的水準がむしろ高い児童に関しては、高いレベルの教育を高い仲間の中で受けるべきだ。

私自身は、児童たちに向き合って理想的かもしれないと感じるのは、「私の人生そのものをそのまま伝えることが、児童の安心につながる」「障害に関しては、自己肯定感が高く、むしろADHDがなかったら今の自分はない、と思っていること」「その環境を作ってくれた、家族や社会・環境をつたえること」

と思いました。

ご両親としては、学校や他の児童に迷惑をかけていないか、心配であることも、同様に思い、日本人の週案主義と、少々似ていると思いましたが、ADHDに関しては、なぜ落ち着かずに、教室を出てしまうのか?といった、原因をしっかり理解をして周囲が環境を学び、整えれば、両親の心配は、かなり軽減できると私は答えました。

さらに、じゃあ、具体的にどうすればよいのか?という問いについて、”AIR”なのですが、ASD系な人方は、”AIR”が分かりづらいので、難しい。ドーユーラボは、しつけをせずに、”最低限のルール”を決めれば、良いとして、一般の放課後デイのように、しつけをあまりしないです。

私の経験から、本当は児童は言われなくてもわかっている。でもできないことと、出来ないと思われていることが、ストレスなのです。私のような、おじさんも、児童や学生は仲間として直感で分かります。

当事者のお兄さんやお姉さんの先輩を見ていて、憧れに思うことと、年上の児童や学生は、模範的になろうとします。君たちの苦しみは、私たちも十分わかり、経験をしてきた。とする思いが暗黙のルールになる、と私は答えました。

 

診断前・受け入れ前の当事者の職場対応

実は、お母様の職場の話を聞きまして、就労の話もしました。職場での当事者対応なのですが、診察済みの障がい者採用の場合は問題がないが、未診断か、障害を受け入れていない当事者の職場対応に困っていることでした。状況は私と一緒で、医師でもないので本人に伝えられないが、職場でのトラブルになること。「あるある」と苦笑になった。

・PCにコーヒーを数回こぼしたり、職場内を落ち着かずに、ウロウロをしてしまう当事者がいた。

診断前の社員からすると、「上司に特性を察されたことは、彼のこれまでの人生の苦しみを考えればショックだろう」と思った。会社が業務に支障があるので、非常に困り、本人も困ること、私はこの特性を主治医から長年教えてもらったので、診断を受ければ回復をするので、主治医に意見を聞いて、助言とADHDに関するDVDを渡すことにした。長年、障害に起因する嫌な思いをしており、私も配慮をしながら、うまく伝えないといけないと思った。気持ちは、本人は(そのように配慮をする私)の想像や理解できずに、むしろ恨まれるのではないかといった、私の気持ちを吐露したかった。

多数派であれば、言いづらいことを伝えてくれたと、感謝も含めて想像できるが、当事者には難しい。

 

・発達障害に気が付いていない、年配の当事者は、組織コミュニケーションの高度なことが分からずにいる。

自分の言動を他者に伝えた際に、他者からさらに伝わってしまうので、いろいろなことの評価や悪口、ネガティブな思いについては、慎重に伝えるべきである。他者を通じて、自分の態度が伝わってしまうことを、理解できてきなかった。

当事者が所属をする会社や組織についてのネガティブな反応について、言葉だけではなく、表情や態度で社外に、伝わってしまい、その当事者が関わる取引先の発言から、当事者の態度が社内にフィードバックされたこと。多数派も失敗をすることだと思うが、会社の担当者が「自分の会社は予算がある」「立場としては、言えないけれども、あまり乗る気ではない」「自社内の人物」へのネガティブなことについては、自分を守るために、一番慎重に社外に伝え、本音が見えないようにすると思うし、相手のレベルが高かったり距離が近い場合には、ある程度本音や気持ちを見せながら、うまく折り合いをつけることをお願いして、乗り切るという微妙なシーンがある。

うまくできないと第三者を通じて、本人の態度がわかってしまうことで、サラリーマンとして一番問題となることだ。この問題は、30代以降の当事者の会社員で、問題になり始める。

・会社内で、個人の性的なことなど不快に思うこと、関係のないことを堂々と話をして攻撃的な当事者の女性。パーソナルな領域が拡大し、個人の世界が広がり周囲は困惑すること

世界は、どこに行っても似たような悩みがあるなと、ディスカッションをしました。スウェーデンと日本は、空気を読む文化でとても似ている。

私がカミングアウトしたことで、未診断の当事者が殺到して、大混乱をしたが、放課後デイを開設したり、当事者としての話題をすることによって、未診断であろう隠したかった当事者はゼロになったこと。一方で、しっかりと受け入れている当事者を支える環境を構築しているということを伝えて、「自分を変えようとして努力をしている当事者」は受け入れるが、そうでは未診断であろう当事者は、暴れたり叱責をする、社会不適応が高い未診断社員は断固として受入れないという方法は、なるほどと思ったようです。

内容は、深いのですが、後日まとめたいと思います。次はドイツへ向かい、ヨーロッパ最大のゲームショウを視察します。教育教材になるようなゲームを調べます。(ドイツと、ポーランドで当事者グループに参加します。)

2019.8.23  南雲玲生 ストックホルムにて

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