2018年は、2月から11月まで沖縄県に居住をして、ず〜と事業の立ち上げをおこなった。
福祉事業へと定款を追加し、県庁を回り、採用。
そして、無事に児童を向かい入れる。
ながい過集中でした。
気がついたら、11月。
大阪に、半分仕事で半分私用で向かうことにした。
じつは、大阪・神戸・京都は仕事だけでなく、とてもお世話になった方がたくさんいて
お会いすることがある。
ミナミで、お菓子メーカーの方と終電までお酒を飲んだり。
京都でも、遅くまでゲームを語らったり。
仕事を超えて、友達になってくださったお菓子メーカーの方
ゲームを作った時に、最初に遊んでいただいたファンの方
ドラッグストアにゲームを販売してくださった際、ご尽力いただいた方
1997年茶屋町
僕が1997年に作ったゲームは、
大阪の茶屋町が、最初のロケーションテスト実施で
大盛況ののちに、駅まで送っていただいたぐらいだった。
確か、この季節だったと思う。
当時は20代前半だったので、たくさんの人に遊んでもらえる実感はあったけれども
日本中で広まって、どこにいっても存在するゲームになるとは
思わなかった。
今でも、あまり言えないことがあって
1995年に阪神大震災が起きて、その後、仕事でも行く機会が多かった。
いろいろな、できごとがたくさんあった。
長田区をぐるりとしようと思っている。
その後も、
2005年頃は、お菓子メーカーの方といろいろ進めていたり、
2008年にはゲームソフトを大阪のお店に設置いただくことになったり。
健康とゲームがすすんだ。
2011年のアプリの斉藤さんも、大阪でウケた。
チャレンジのスタートは大阪がおおい。
実はもうすぐ45歳の自分は、
やっといろいろ振り返る余裕もできて
ながい中年のトンネルから、抜け出しているのかなと思った。