私によってみんながかわる。みんなによって私がかわる?

 

 

保護者と児童のみなさん、こんにちは、しゃちょうです。

 

沖縄のこの時期は暖かくてよいですよね。

3年前に自転車をもって沖縄にきました。レンタル倉庫に着替えや資料をおき、うるま市や沖縄市の役所へ回ったり、おもろまちのハローワークへ採用のために動いたことを思い出しました。おかげで、沖縄の裏道もかなりわかってきました。

私のような多動系な人がいると、物凄い速さで事業が進みますが、不安はなくて初めてのことが刺激的でワクワクします。絵や写真のように心の中に目標があるので、何をするべきか計画をすれば、心配がないと考えてしまいます。かつて、ゲームを開発をしたり、ドラッグストア向けのニンテンドーDSソフトを出したり、アプリのためにアメリカへ行って交渉をしました。ヨーロッパでゲームのライセンスをするために、フランスやイタリアで契約をしてきたこともあります。言葉が通じないと思うかもしれませんが、言葉を話せる人を採用すれば良いですし、ビジネス・契約、考え方や文化の違いだけに注力すれば問題ないと考えていました。

経験もあり、ゼロから立ち上げる仕事は得意ですが、仲間が増えた場合には、ジャイアンのトップダウン(上から指示をして)が強すぎてしまうことも多いです。独断でやってしまうと、私の中の理解だけで進んでしまい、周囲は考えることよりも、従うことに一生懸命になってしまいます。

自分が立ち上げた思いもあり、愛着が深くなり自分のやり方にこだわりすぎて、加わった人の気持ちが後手になってしまうのです。自分と、他の人は別の人なので、違う生き方、考えの人に急に大きな変化を与えてはいけない。新しいことに対して、私は得意だけれども、多くの人や、特にASD系の人は、何から手をつけるのか、漠然として不安になるかもしれないと、想像するようにしています。

さて、最近は、私によって多くの人に影響を与えることができて、周りの人によって私が影響を受けてかわっていくことを、深くテーマにしています。

みなさんも、友達や、人間関係が一番難しいことですよね。

周りの人が成長をしたり、困っている考えを改善できるのであれば、思っていることをどんどん伝えていこうと考えていますが、周りの人よりも年齢や立場が上である私、つまり相手から私はどのように見えるのであろうか?を想像をします。注意をしたり、説教などの結論ありきではなく、アイデアや提案、こう思ったんだんだよね・・・。というような話し方を心がけて、意見はかなり伝えるけれども、選択肢をあたえるとしています。

実は、後藤先生から指導を受ける7年前は、周囲に対して察しが強くあったのに、言葉や表情にならなかったのですね。周囲や相手が、あまり良くないなと思っても、あとから言葉になりました。ドーユーラボのみなさんと同じ時間、同じ空間を過ごしているうちに、考えないでも、自然と伝えるコトができるようになりましたし、相手がなるほどとおもうように、話せるようになりました。子供達と一緒に私も成長をしたのだと思います。

日々、雑談でも、私が察したことを伝えると、周囲は、南雲はこんなふうにかんがえているのだ、となり、「こんなことは嬉しいのかもしれない」、とか、「こんなことはいやがるのかもしれない」という、データが時間をかけて周囲に蓄積していくのだと思います。

ただ、毎日だと疲れると思うので、人との距離は遠くしていますし、私は、感情がなくなり、あまり打たれなくなったともいえるし、相手と立場が対等ではなく、自分自身の意識は、頭の上であり、天井の下ぐらいにあるような気もします。

初めてなこと、なれないこと、疲れているとき、行き詰まっているとき。日々の小さなやりとりが少なかったり、センサーが乏しくなり言葉だけに依存しがちです。周囲は誤解をして、自分も相手に対して言葉だけで誤解をして、おおきな問題になることも多いと思います。問題があるときは、日常の小さな会話が少なかったり、相手から受ける影響だけを考えすぎて、自分から発すること、自分に何が足りないのか、意外に抜けていたりします。

今の社会情勢も似たように思います。SNSは便利ですけれども、すぐに顔の見えない人とは仲良くなれず、イザコザが怒るのも当然です。それは、その人にあるたくさんの経験や、人柄、思いを知らずにやりとりをするからです。

みんなが、おなじように、上手な伝え方ができれば、みんなも、考え方が増えていきます。そして、私自身も、みんなの考え方の中にいることで、教えてもらうことで、私の欠点や、心の角がとれていきます。

学校の仲間や友達との悩みでも、ご家庭の悩みでも、日々、考え方や気持ちの調整をしていれば、お互いが成長し会える、相手から受け取った言葉で自分の気持ちが、悪くなったりするのは、その前の事前の小さなやりとりが少なかったりするのかもしれない。人はにているところと、全く異なる考えの人もたくさんいます。そして、時間をかけて寄り添うこともできる。

私が・・・と思っても、相手は、別の解釈になるかもしれない。と気付いたら、念入りに気分を害さないように、お話や調整をすると、内容はとにかく、私の不器用な性格のわりに、考えているのだなと、伝わる気もします。

本来の私は、結論や結果ありきで、途中の段階はあまり考えていない人でしたので、仕事をすすめる上では、良いことだけれども、他の人に対しては、これではいけないと考えています。

嫌な思いをしたとしても、それを面倒とせずに、どのように伝えるか。嬉しい思いをしたら、その嬉しい思いを。他の人も、また他の人にそのやり方が伝えられるように考える。ドーユーラボのみんなによって、私は成長をしている気もしますし、みなさんも、東京から来た私によってかわることもあると思います。これが教育なのかなと、そんなことを考える、コロナな1年でした。

 

さて、東京にもどろう!

 

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