呪われたADHDが繰り出す禁術「イザナギ」

 

ドーユーラボの中園です。

ADHDジャイアンである私は、以前書いた通り、普段はコンサータを飲んでいます。その効果とは、ざっくりいうと頭の中の多動でごちゃごちゃしているものがくっきり把握しやすくなります。

あくまでも、ごちゃごちゃが整理されるわけではなく、自覚しやすくなる、というのがミソです。

その状態で勉強や運動をすると、「これはこれまでのあの出来事があった影響でその連続性があって今この状態として成り立ったのだな」といったような全体像や感覚が掴みやすいです。

そこから深みを持たせて掘り下げていけば「体系的に学ぶ」ということが可能になるのだと思いますが、ADHDジャイアンにありがちな「なるほどこういう繋がりで今ここの地点なのかあ」と分かったつもりになって飽きてしまうのが器用貧乏になる要因の一つだと確信しています。

 

ジャイアンの必修科目「論理的思考(ロジカルシンキング)」

特に論理的思考を身に付けるという事は、学問・芸術・スポーツだけでなく、退屈な日常生活を潤す楽しい楽しい習慣となるので、とにかく何にしても論理的思考を土台にして取り組んだり考えたりすることが肝要です。

日常生活でのメリットの例を挙げると、先に述べた通り、大体の物事はそれぞれ歴史があって、それぞれの立ち位置や変換点、また別の物事と交差したり衝突したりしながら途方もなく連なる連続性のもとに成り立っているので、他人の趣味・興味の話を聞いたり質問したりする過程で論理的思考のベースにそれを当てはめていくと、その背景など全体像が理解しやすいので、読書や他者の趣味の話など大体のことが面白いなあと感じることが多いです。

別にコンサータを飲まなくても論理的思考は鍛えられますが、やっぱりADHDはコンサータを服用し頭の中になにが散らばっているのかを可視化して(可視化されませんが)から整理するのが一番なので、つくづくコンサータは相性がいいなと感心します。

特に、ADHDジャイアンにとって論理的思考というのは必修科目であると断言できるほど、非常に深刻で重大な問題がジャイアンには潜んでいるのです。

ジャイアンADHDだけが陥る呪い「依存型」

ジャイアンADHDは、環境によって「依存型ジャイアンADHD」という状態になり、その環境がずっと続くと遅かれ早かれ日常生活に支障をきたすようになります。

下の方に依存型ADHDジャイアンの例を挙げますが、その前に依存型について説明します。

参考:『ADHDの経過 のび太とジャイアン』精神科医やんばる先生のいみふめいなヒトビト

 
(以下は私の一当事者としての私見であり、学問的な見解ではないことをご理解願います)

 

ADHDは発達障害なので当然、先天的なものですが、この依存型というのは後天的な環境等に起因する「状態」で、ある意味「呪い」であり、治す事ができます。

というか治さなければまともなコミュニケーションがとれません。

 

※以下の解説はNARUTOを読んでいなければ逆に分かり辛いのでご注意ください

依存型ジャイアンが使う禁術「イザナギ」(クリックして開く)

依存型ジャイアンはイザナギという忍術を使います。

そうです、NARUTOのうちは一族が使うあのイザナギのことで、それはつまり、自分の都合のいいように現実を書き換えてしまう恐るべき禁術です。

依存型ジャイアンのイザナギは、自分にとって都合のいい歪んだ解釈や責任逃れの言い訳を駆使して現実の書き換えを謀ります。

しかし当然、ジャイアンは車輪眼を持っているわけではないので、現実を書き換えられたと思っているのは本人だけです。

そこで依存型ジャイアンの行動や言動をしっかり問詰めていくと、以前の言動と整合性が取れていなかったりして、そのうち矛盾にぶち当たり、どこにも逃げ場がなくなるので、そこで依存型ジャイアンは自分自身にイザナギではなくイザナミを使っていたという事がわかります。

イザナミは、イザナギによって現実を書き換えた瞬間を再現し、その二つの場面を繋げて無限ループに陥らせる、という、イザナギを破るたった一つの術を自ら掛けてしまっているのです。

当然です。
ジャイアンはうちは一族ではなく剛田家ですし。

本家のイザナミの解除方法と同様に、本来の現実から逃げようとせず、現実を受け入れることでイザナミから解放されます。
一人で勝手にイザナミの状態に陥っているので、行動や言動について矛盾の袋小路までしつこく問い詰めてしっかり自身の言葉でフィードバックさましょう。

 

簡単にいうと、依存型の脳内では「刹那的思考」と「感情」を基盤にして、「自身の利益」と「自身の不利益の回避」が最優先の行動原理となっています。

けっしてそれぞれが悪いのではなく、その組み合わせが最悪なのです。

つまり「目先の自己の利益」が最優先なので、行動や言動の根本の整合性が全く取れていません。

 

依存型ジャイアンの例を挙げると、

自分が最短で有利になるような言動・行動

→権力者に媚び、依存する(ジャイアンというかスネ夫っぽい)
→”面倒だからやりたくない”の実現のためにあれこれもっともらしい理由で論破を試みる
→楽にマウントが取れるし構ってもらえるのでワルっぽい奴に憧れる

 

都合の悪い状況を逃れようと良くない回避スキルが身に付く

→お前のせい、〇〇のせい、は良く言う(自分のせいと言う時は本心ではなくその場しのぎ)
→何についての謝罪なのか自覚のない形式的な謝罪
→わざと相手の怒りを買って場を荒らし論点をずらす

 

格下だと思ったら職員だろうがなんだろうが相手をいじめる

→相手のことはもちろん、自分が周りの目にどう映るかという事よりもその時の感情や目先の少数の仲間ウケを優先する

※診断がADHDでなければ、もしこれらの振る舞いをしたとしてもそれは全く別の行動原理に基づくものなので、注意が必要です!!

中には事件に巻き込まれたり、事件を起こしたりというような危険性も孕んでますね。

そして厄介なのは、これらの行動や言動の背景にある考え方は割と周りからはバレバレなのに、全てうまく騙せたと思って同じことを繰り返すところです。

本当に「あの反省の言葉はなんだったの」という感じです。

依存型ジャイアン相手の会話では、思考回路を経由せず上記の行動原理を経てレスポンスが返ってくるので、「会話のキャッチボール」というよりもこちらからの一方的な「壁当て」のような感覚になり、そこで違和感を抱いたり面倒になったりした人はそれ以上深く追求したりせず、思春期くらいから周りから距離を置かれ始めることもあります。

たまにいる心優しい人から「いよいよだぞ」と厳しいお叱りを受けると、「注意してくれてありがとう」と形式的な謝罪ムードを演じとりあえずのその場の幕引きを謀ります。

とっても大事なことは、これらは、依存型という呪いがもたらす行動・言動なので、「罪を憎んで人を憎まず」の精神で、あくまでも人格ではなく行動についてと、誰も騙せていないんだぞということを、怒らず冷静に、かつロジカルに厳しく問い詰めましょう。

謝らせることではなく、行動・言動の整合性をつっこみ、「自分で考える」という事ができるように、ライオンの親が我が子を崖からつき落とすように、きっぱり突き放し、絶対に尻拭いをせず、自己責任を徹底する覚悟が必要です。

とはいえ、依存型を修正するのに何よりも難しいのは、家庭、学校(職場)、放課後等デイ、ととにかく依存先を作らないように全ての場所でスクラムを組み統一して毅然とした態度を貫くようにしなければならない事です。

 

依存型にならないように…

この通り、いったん依存型になってしまうと、その補正がとても大変なのです。

そうならないように心掛けることは過保護・過干渉を徹底的に避けることです。

過保護→甘えればあれこれ周りの人がやってくれるので何も考えられなくなる

過干渉→逆にあれこれ厳しく注意や指示をすると、怒られたくないので言われた事だけを言われた時にだけやるようになり、何も考えられなくなる

いずれにしても「自分自身で考える」習慣から遠ざかるので過保護・過干渉は禁忌です。

普段から、「やってはいけないこと」や「やって欲しいこと」などを順序立ててしっかり説明する必要があります。

毎回説明しなければならないのは時間も労力も費やし大変ですが、長期的に考えると、依存型になってから修正する方が圧倒的に時間も体力も削られ、環境も荒れる可能性があります。

ひとまず本人には心の中にイマジナリーアニメキャラを飼うことから始めてもらいましょう。

例えば、勝負ごとが終わった後、マサラタウンのサトシはポケモンバトルの後こんなこと言うか?烈海王がこんな事するだろうか?

負かした相手を煽ったり、相手の勝利に難癖つけたりする今の俺は、漫画ではすぐ退場する名も無きモブのポジションじゃないか?

と、まず一呼吸考える癖をつけさせるのです。

ただサトシ自体は後先考えず平気で崖に飛び込んだりするので、サトシになりきるというよりもサトシを思い出す程度に留めておいてください。

老婆心で言うと、イマジナリーサスケや飛影など、クールキャラを心に飼うのは避けた方が良いです…

こういう風にすれば、ADHDはメタ認知を鍛え客観的・俯瞰的な視点を習得できますし、状況によってイマジナリー所ジョージやイマジナリー高田純次などを駆使して人に優しくしたり、気を楽にすることもできます。

 

今に向き合い、未来を見る

論理的思考とメタ認知で、過去からの連続性としての「今」と、当然その「今」の積み重ねに未来がある事も自覚できますので、先の見通しが立てやすいです。

そうなれば必然的に「自分の感情」の優先度は低くなります。

ドーユーラボの児童へは、依存型とか関係なしに、嫌われるのを承知でで「私はたとえ今のあなたに嫌われたとしても、将来のあなたが私に感謝するだろうということを確信している」と伝えて、厳しく接しますが、果たしてどう影響するのか…

とにかく先の見通しが立てられれば、ある決断を迫られた場面では「長期的にみて将来自分に利益をもたらす可能性が高いので、あえて今は不利を被っておく」という判断ができるようになります。

これはつまり、社会人が自然と身につけている「恩の貸し借り」に近いのではないでしょうか。

発達障害の特性のない人たちは、論理的思考の訓練なしに、義務教育の勉強や交友関係などを通して、自然と、しかも無意識に、感覚的に貸し借りなどといった関係性を学んでいくのか、と思うと、「普通」ということの凄みと、そんな普通の現代社会に、発達障害の当事者が自覚なく、あるいは対策せず飛び込んで生きていくのは困難だということがはっきり理解できますね。

逆にいうと感覚的ではなく訓練のもと自覚して身に付けた論理的思考なので、ビジネスシーンにおいては全ての行動がしっかり説明できるという事であるため、信頼を得やすいです。

もし自己の利益だけを優先に行動してしまえば、その行動の説明に嘘を重ねざるを得ないので。

 

コンサータの副次的効果

とても大事なことですが、コンサータはお酒などのような嗜好品の薬物ではありませんので、効果が切れて全てが元に戻るということはないです。

効果が切れている時は頭の中のごちゃごちゃがまた見え辛くなりますが、コンサータが効いている状態で得た考え方は残ります。

うずまきナルトの多重影分身を活用した修行並みのチート能力ですね。

ただ、考え方を変えるのは薬ではなくあくまでも自分自身なので、コンサータを飲めば全てうまくいくなんてことは絶対にあり得ません。

依存型のADHDジャイアンは、コンサータで自身の過去の行動や言動を省みる機会を与えられる事も一つの大きなメリットとも言えます。

依存型という呪いを解く過程で自然と論理的思考とメタ認知は身に付くはずで、感情によって行動・言動があれこれ変わるということも少なくなるはずです。

 

最後に、とても大事なことなので重ねていいますが、依存型の振る舞いは呪いのようなものによりもたらされていると思うようにしてください。

依存型ジャイアンが人格攻撃や論点ずらしを始めたらそれは不都合が暴かれようとしている合図なので、それに乗らず、一呼吸おいて冷静に、「罪を憎んで人を憎まず」の精神で、あくまでも人格ではなく行動について、怒らず、かつロジカルに厳しく問い詰めましょう。

人格を咎めてしまうと、依存型とか発達障害とか関係なしに、あまりいい結果を招きません。

そして何より、依存型相手に人格を咎めると、依存型がトンデモ理論や論点ずらしなどで論破を試みる際、「あの時あなたも同じ事したよね」と形勢逆転(?)の起点を作ってしまう事になります。

しっかりそういうことは覚えているのでそれもまた腹立たしいですが、まあ、そうなっても落ち着いてちゃんとその時の状況や前後関係を相手に言わせながら振り返って、こちらの「その言動についての反省」の態度をみせることで、冷静になれると同時に振り上げた拳の引っ込め方も学んでもらえる良い機会になります。

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