発達凸凹っ子は空気は読むべきなのかどうか

Last Updated on 2025-02-13 by nakazono

ADHDジャイアン型の中園です。

私見ですが、もし「場の空気」が読めればきっと役に立ちますが、だからと言ってそれに従う必要は全くないと思います。

そもそも、ADHDの人は「場の空気」を読めているのか否か?

その答えは、4つのパターンがあると思っています。

空気を…

  • 読めている時
  • 誤読している時
  • 読めていない時
  • あえて読まずにぶっ壊したい時

全く&常に読めないのではなく中途半端に読めたりすることもあるからこその苦しみ、というものも確かにありますね。

 

ところで

その「空気」というものはなんなのでしょうか。

我々発達障害を持つ人にとっては、まるでそれはこの国を覆っている呪いのように感じられていますが、今回はこれについて考えてみます。

いきなり僕なりの結論から言うと、その「空気」というものは「誰かの思惑・目的」のことだと思います。

かつてお笑い芸人が言っていた「空気を読む」というのは、「お決まりの流れに持っていければみんなが笑うはずだから、協力してその流れに乗ろう」ということだったでしょうし、初めて芸人が「空気を読めよ」とツッコミを入れた時は、それこそが「お決まりの流れを外れた時に使える新しいお笑いの流れ」が誕生した瞬間だったと思います。

それがなぜこの国を覆う呪いになったのか?
その芸人さんたちの真似をして、クラスやコミュニティに持ち込み、そのお決まりの流れにならなかった時に「空気を読めよ〜」なんて言うと、その持っていくべきだった流れを知っている人たちの間で、簡単に笑いを起こせる訳です。

おそらくこの「空気を読む」という言葉を大衆に広めたのは松本人志だと思うのですが、ではこの「空気を読まなければいけない」という空気に苦しめられている現状は全て彼のせいなのかというと、発端ではありますし確実に一部を担っていると確信していますが、全ての原因とは言い切れないと思っています。

そもそも彼が流行らそうとして流行らなかった言葉も存在しています。
僕が覚えている限りでは、一時期「ザンナイわ〜、めっちゃザンナイわ〜」とか言っていましたが、なんとなく言葉の響きや使うタイミングが「残念」に似ていることから使い分けが難しかった為か、単純に面白くなかったのか、いずれにせよ流行りませんでした。ザンナイ。

翻って「空気を読む」がお笑いの関係のないところまで広く浸透したのは、それを使えば誰でも簡単に「お笑いっぽい事」ができたからです。

同じく彼が流行らせた、言葉に詰まってしまった時に使う「噛む」というのも同じです。

つまり、お笑いの定番の「流れ」を遮ってしまったり、言葉に詰まったりした時に、「空気読んで?」とか「噛んだから頭に入ってけえへん」とか言えば、それ自体がそれっぽい「流れ」になり、芸人でなくても、小学生でも誰でもコンビニエンスお笑いができるのです。

本当にお笑いの技術があれば、流れに沿わないイレギュラーが起きても、アドリブ対応で新しいお笑いができるかもしれませんが、それは最早プロの芸人さんが日々努力して試行錯誤している領域だと存じます。

 

お笑い以外での「空気を読む」

そしてこの「空気を読む」がお笑い以外でも広く使われているのも事実です。

例えば、長引いている会議であなたが質問をしたら、後から同僚などから「早く終わらせたいのに空気も読まずに質問しやがって」なんて言われてしまう事もあるかもしれません。

この場合であれば、その同僚からの視点では「早く会議を切り上げたい」という思惑・目的があり、節々にそういう種を蒔いていたものの、あなたのとある質問のせいでまた会議が長引いて台無し、と見えています。

それが、その同僚があなたに読んでほしかった「空気」の正体です。

しかし、「長引いてでもこの会議で何かしらの成果や決定をだしたい」という思惑が上司か誰かにあったとしたら、もしかしたらあなたの「質問」はナイスアシストだったかもしれないのです。

もしそうであれば一つの会議に二つの「空気」が存在しています。

という事は、この国を覆っている「空気」の存在というものは実は虚構でしかなく、その実態は、「それぞれの思惑」だったということになります。

もし国家をまるごと覆っている統一の「空気」があるとすれば、それは「文化」「習慣」「慣例」「常識」などと言い換えられているはずです。

例えば、イギリスでは皮肉をよく言うらしいので、もし料理を振る舞った相手に「僕のペットの犬が好きそうな味だね」なんて言われたら、もしその皮肉(空気)が分からなければ単に「なんか褒められてるのかな?やったー」となるはずですが、この場合は明らかに貶されているのが分かるので、やっぱりこれは空気というよりも文化に近いと思います。

 

では、文化や習慣ではないのなら、「空気は読め」とは一体どういう意味を持つのか。

この言葉を使っている本人も気づいていないようですが、「空気を読め」というのは「俺の気持ちを察して行動しろ」という言葉を、マイルドに、かつ責任を放棄して相手に投げかける事ができる大変便利な言葉だったのです。

つまりこの国を覆っているのは
「空気を読まなければいけない」という呪い
ではなく、
「俺の気持ちを察しろ勢が無責任にのさばっている」という事実
です。

先ほど申し上げたように、かつてのカリスマ松本人志がこの言葉を使った言葉が全て流行るわけではありませんが、その中でこの言葉が流行ったのは、

ワガママを押し通したい人にとっては、その思惑を隠しながら他人に押し付けるのに大変便利で、かつ非常に簡単に使える汎用性の高い言葉

だったからに他なりません。

 

「空気を読め」対策

もしかすると、まだまだ「空気を読め」なんて言う人は沢山いるかもしれませんし、そんな人たちに「優しく言葉にして伝えてください」なんて言えないよ、という人も多いとお察しします。
そういう場合はどう対処したら良いでしょうか。

 

私なりに2つの案を考えてみましたので、参考にしてみてください。

 

1.思惑を見抜く

これが出来るようになるには訓練が必要かもしれませんが、
「空気を読め」と言い始めた人は何を達成したいのか?というのを見破る事ができればこっちのもんです。

見抜いた上で何ができるかというと

  • その場から離れる
  • イジリ笑いのターゲットになりそうな人を庇う
  • 流れをぶっ壊して台無しにする(上手くいけば新たな笑いの中心人物になれるが「不思議ちゃん」のレッテルを貼られるというリスクも)
  • 「早く会議を切り上げたいなら自分で切り出しなさいよ」と正直に伝える

 

2.空気を作り出す側になる

これは言わずもがな、最早カリスマと呼ばれる人ですね。
「ギャンブルで稼ぐなら胴元になれ」みたいな感じで、自分で空気を生み出せばいいのです。
どういう空気がいいかというと、

  • 思惑・目的があるなら初めに提示する
  • 誰かが噛んでも最後まで話を聞く
  • 何時に終わるかを明確にして、それを守る

どうでしょうか。

 

「あえて」空気を読まずぶっ壊す時とは

最後に、冒頭にある

ADHDが「あえて」空気を読まずにむしろぶっ壊す時

について言及します。

なぜそんなことをするのかというと、「いつもの流れ」に飽きたので、新しい刺激を求めてやっちゃうのです。

何が起こるのか試さずにはいられない、全ては好奇心に由来します。

もしそれが上手くいった暁には、きっと新しい流れを生み出すカリスマになり、空気を作り出す張本人になれることでしょう。

あらかじめADHDをと公表していればやり易いと思いますよ。

ここまでが、初めに言及した「読めれば役に立つ」と思った根拠です。

 

その他にもいいアイデアや実際にやってみて効果があったことなどコメント頂けると大変嬉しいです。

 

ところで

2025/3/8(土)にOISTでADHDをテーマにした映画の上映会がございますよ!

https://groups.oist.jp/cpr/event/oist-science-talk-2025

 

実は私、一度この映画を拝見いたしました。

感想は当日のトークイベントにお話をするとして、一つだけ伝えたいことは、

ADHDというテーマを抜きにしても大変面白い映画なので、ADHDや発達障害などに全く興味のない人にも是非みてほしい映画です!

※鑑賞には事前予約が必要です!満席になる前にお早めにご予約をお願いします!

https://www.oist.jp/ja/event-registration/oist-science-talk-series

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA