ドーユーラボ中学生向け 高校受験について 〜 南雲の10代の頃

 

遠い昔の僕の記憶ですが、ADHD系で、南雲に似ているとと思える中学生に、参考になればよいです。

まず、伝えたいことがあります。

子供の頃は発達障害といった診断や概念のない世の中でした。だから、障害とされることよりも、プラス面で僕は生きてこれたから、社会にでても困りませんでした。自分にふさわしい仕事で「嫌なことは最小限にして」「嫌なことを得意なことに関連づけて」「好きなことのために、嫌なことをやる」。そのために、できる限り良い高校・大学を目指した方が良くて、お伝えしたいです。

会社員になった21歳から今まで、結果としては、自分の直感と頭の中で考えてきたゲームやアプリ、サービス、事業でご飯を食べています。普通の人と話が合うわけがないし、理解されないかもしれません。

大きな会社からお金をもらうわけでもなく、社会から直接給料をもらえたと思っています。障害とも能力とも、若い頃の私はわかりませんでした。もちろん、応援してくれた人や会社があったからできたともいえます。

全て、もちろん事実ですし、私は、著名人でもなくて、皆さんの前にいる私そのままなので、脚色もないしです。困っているみんなは、障害を持ちながら頑張ってカミングアウトしている経営者、有名人、歴史上の人物は、所詮才能があるからだと思って、未来を信じにくいこともあるかもしれませんし、僕も大人になったから結果論で言えるものだと、考えるかもしれません。その気持ちもわかります。

いまは、少なくとも自分の働き方、稼ぎ方、自由で独立をするため、良い仲間に会うためにも、あまり他者から干渉されず、自由を認め合える良い進路、まずは、良い高校にチャレンジして欲しいと思います。

 

*サバイバルすると元気

中学時代の経験を伝える前に、ADHDは追い込まれると頑張って、強い部族と思って自信を持って欲しいです。

僕は、日本が豊かな時期、荻野目洋子のダンシングヒーローが流行った頃、中学生は昭和62年(1986)、高校生の頃は平成元年(1989)はバブル真っ盛りな時期でした。

不適応が強かった期間は、小学校から中学校、高校生ぐらいまでです。高校の3年間で徐々に元気にになりました。最近、昔のことを、思い出してきたのですが、保険証を勝手に持ち出して、精神科に行って、間違いなく自分はうつ病です薬くださいって伝えて、当時の病院の先生に、あなたは甘えているだけで帰りなさいって罵倒されてさらに病んだぐらいで、十二指腸潰瘍も中学生で経験をしました。今でもレントゲン検査に残っています。

ところが、高校を卒業してしばらくすると家がなくなって、両親が離れ離れになったのに、エンジョイでした。高校の仲間や先輩が天ぷら粉や、カセットコンロなど、生きるための最低限のものをくれました。虫や動物以外の植物をさがして生活をしました。本当は、すぐに食べれる賞味期限切れの食料がほしかったたのですが、公園にいき、食べれる雑草を探しているうちに楽しくなりました。電気代の滞納など、だらしない大変な生活でしたが。子供の頃より楽しくて、自分で全部決められました。自由な高校生活で、いろいろ抜けきって解放されたのですね。自由の獲得こそ、一番楽で最高のパフォーマンスを出せた気がします。嫌なことはやらないことでした。

 

*昭和世代も本当は発達障害だらけ

ラボのみんなを見ていると、ゲーム会社や僕の会社で働いていた人たちを思い出します。Aさんをみていると、会社員時代の国立大卒の才能あるデザイナーそっくりです。H君も、爆速な問題解決力と、発想力は、何から何まで子供の頃の僕です。考え方が似ているので、直感と思考力で、同じような進路や仕事を目指せるのかなとも思っています。

発達障害の人はたくさんいて、著名人でなくても大活躍しているし、中年以降の人の多くは(南雲は気づいていても)自分は、普通だと思っている人も多い。困った人もたくさんいますし、大活躍している人もたくさんいます。後藤先生の言われる通り、学校・会社に適応していれば、障害ではない。合わない環境で無理に頑張らないといけないと、発達障害になる。障害者フォローの言葉のため、「できないこともあるが、才能もある」といったことでもなく、環境さえ合えば、何も意識せずに、大活躍できるのです。

僕は、一般の人があたりまえにできる、東京で満員電車に乗り、違うと思っても、良いと言わなくてはいけない圧力、何も考えずに社会の和に参加することをしていたら、病んでいたと思うし、合わせられないです。一般社会でこのようなことを伝えたら、妬みややっかみを受けるだろうとして、過適応して、気にしすぎることも僕の病気でした。46歳になって、嫌なことを最小限にする=普通の人とは異なる=それでも生きてこれた=自分の生き方です。

自分にあう仕事をしていれば、楽しいので、たくさん働くことができます。ゲーム会社の会社員のころ、20代は自分たちの考えたものを作ってましたから、家に帰るのも面倒で、会社で衣食住しました。これができるADHDは誇りに思います。でも、グラフィックデザイン、広告代理店のクリエイター、コピーライター、ゲームクリエイター、ミュージシャン、アーティストは楽しくて、面白い、給料が良いなど、特別な仕事、つまり人気のある会社です。

 

人気のある会社は応募する人がたくさんいます。

だから、少しでも自分の条件をよくしておく、よってある程度の学歴は必要です。

 

*小学校の思い出

北朝鮮、中国、ロシアなど、社会主義国に興味を持ったり、ラジオやアマチュア無線、シンセサイザーのような普通の子供が興味を持たないものに深く関心を持ちました。子供なのに、話しかたも大人のようだったそうで、担任の先生は、私立中学校を受験した方が良いとすすめてくれて、麻布中学を目指して、進学塾に通いました。友達は、僕以上に、面白い趣味やこだわりが強くて楽しかったですが、小学校は、周囲の友達が子供に見えて、趣味も話も合いませんでした。自分も子供だったことも忘れていました。話を合わせてくれる友人は1人だけです。(先日、ドーユーラボに遊びにきてくれました。)

小学校では、行動や、考え方、感動もみんなと同じことを求められて、道徳の授業も、心の深いところ、「悪いこと」「良いこと」として、みんなと同じで無いといけない圧力が嫌でした。「住民が減少をした過疎の町に対する授業で、人間以外の動物からみたら、良いことだ。」と、思っていることを伝えたら、否定されました。運動会も遠足も、合唱コンクールも何が楽しいのかわからないですし、クラスが優勝したときに、嬉しいフリをして、みんなに合わせていましたが、意味がわかりません。

ところが、進学塾の友達や、東京の麻布中学の人たちは、好きなことを全開に楽しんでいて、学校生活もよさそうでした。私の親は、貧しくて学校へ行けない苦労をしたから、コンプレックスが強かった。僕は、多少勉強ができたので、医者にしたかった。私も、親の期待に答えて、親を喜ばせないといけない気持ちもありました。アダルトチルドレンです。

結果、中学校は落ちましたが、僕は、他の人よりも良い成績、学歴偏重で上昇志向なジャイアンから、好きなことだけやる、のび太な中学生になりました。

 

*公立の中学校

1)楽しいことは学習だった

実は、僕が大好きな趣味に夢中すぎた結果「学校の成績」も良かったです。アマチュア無線やシンセサイザーの原理を研究をすると、いつの間に、学校で教わる理科の内容よりも先に進んでいました。そして、大好きな坂本龍一さんの音楽をきっかけに、外国の音楽を聴いていて、英語も困りませんでした。北朝鮮や、ソビエト(今のロシア)が好きで、交流をしたくて、それぞれの国の国営放送に手紙を送ったりしました。社会も得意でした。ハングルも学びました。

私は覚えていないのですが、天文サークルに入っていたようですし、富士通主催の中学生プログラムコンテストで入賞したそうです。学校にパソコンが贈呈されていました。好きなことを極めると、結果として勉強につながりました。

2)報酬

両親は、トップの成績をとったら高性能なパソコン(SHARP X68000)セット、60万円分を買ってくれると伝えてくれて、猛烈に勉強をしました。結果、地域の最高ランクの高校に入れる学力になり(偏差値70超)ました。でも、面白いことに目的を達成した、中学3年生で成績はガタ落ちしました。これは両親の失策でしたが、わかりやすいお金や物を目標にすると頑張る性格でした。

3)のび太

麻布中に落ちた失敗経験もあり、面倒なことはやりたくなく学歴コンプレックスもなかったので、近所で、自由で、楽しそうな高校に行くことにしました。偏差値60ぐらいの進学校で、沖縄の開邦高校よりも1−2ランク下ぐらいです。ジャイアン親は、トップ高ではないので落胆しました。でも、十分素晴らしい高校でした。なにしろ、わたしが納得して自分で決めたのですから一番大切なことです。

 

*学習について

今考えれば、学習障害だったかもしれませんが、うっかりミスが多く、暗記力が非常に弱かったです。解答用紙に、一段書き間違えで全部誤解答もありましたが、応用問題(特色問題)だけは、得意でした。考えたりする処理に対して、一時的に記憶をするワーキングメモリが足りないので、単語が覚えにくいので、理由で覚えました。だから、物事の原理や、なぜそうなるのかと意味で納得できないと、暗記が難しかったです。

1)Aさんに伝えましたが、最初は一つの教科でも良いので、極めると、他教科の勉強方法も感覚がわかってきます。ちょっと勉強をすれば、他の学生よりも成績が良くなるので、ジャイアンには気持ちが良いです。中学校1年生や2年生のうちは、勉強を堅苦しいことと思わないように、自分が好きなこと、興味のあることから関連づけて学習につなげると面白さがわかってきます。全部の教科を平等に学ぶより、好きなところから手をつけて、成果を出してその喜びを経験してから、学びの範囲を広げる考えが良いと思います。

2)自分が気持ち良い勉強をするには、どうするべきか、作戦を考えましょう。興味があって、難しいことが理解できてくると、世の中は、知らないことがたくさんあって、かなり奥深いぞと、クイズ番組のように、解く楽しみが生まれます。

塾について・・・一般的な学習塾は行きませんでした。近所の方に英語を習い、大学生に数学を教わりました。私は、独学で十分と思います。でも、みなさんは、しっかり考えましょう。

 

*生活面

中学校は、みんなに合わせることが一番求められました。いじめられないためにも、知っていても知らないフリをしたり、ボケたり、余計なことを話さないようになり、一見適応しているが、大変な状況でした。僕は、本当は自分の考えに自信があり、かつ慎重だと思います。そして、自然と心の中は他の人を見下すような、上から目線なことが自然の気がします。この頭の中の態度が、世の中にそのまま出たら、社会で敵を作ってしまいます。そこで、謙虚にしなくてはいけないと思っています。でも、緊急事態や、このままではまずい時には、本当の自分がでます。

1)コンプレックス

当時はどもり(吃音)でなやみ、人前で発言をするときに、いちいち、言葉の何を伝えるのか、先に想定しておきました。すでに普通の人とは違うと思っていました。アマチュア無線で知り合った、大人の知人や、先輩、そして、沢山の趣味があったから乗り越えたのかなと思いました。

先日、中学校の頃の夢を見て、思い出しました。今から想像できないぐらい、吃音を気にしていて、電話をする会社は無理だと思っていた。ミュージシャンやゲーム会社などは面白くて、給料がもらえれば最高だと思っていました。みんなの知るように、理想の仕事をしています。

2)のび太を極める

高校は余裕で合格しました。最初のテストでは学内でトップに近かったです。頑張って上を目指さないといけない!といった、ジャイアンが抜けていたので、高校では音楽に夢中になり、好きなことを極めました。卒業する頃は、成績は下から数えたほうが早いぐらいでした。

それでも、僕のような、趣味の多い人は学校にたくさんいて、干渉をする人もいないので、本当に自由な学校でした。ただ、偏差値が高いから勉強を頑張った学生が多く、結果としては、物事を深く考えられる優秀な人なので、学校の決まりも厳しくする必要がない。そして、優秀な人たちは、いろいろな個性の人を寛容できる心の余裕があります。このような学校は人気があるし、みんなが入りたいと思います。競争率が高いです。だから、勉強はを頑張らないといけないのです。

 

3)強調しますが・・・好きなことを極めたら、学校の勉強も仕事にも役に立つ

ドーユーラボのドリルは、僕の経験もあり、勉強そのものを一生懸命になる前に、学ぶこと、知ること、わかることの楽しさを伝えたいのです。好きなことが見つかったら最強な仲間だからです。

僕は、好きな仕事、自分が考えたサービス、ゲーム、アプリで、人生の大半を過ごしてます。たくさんの利用者や遊んだ人が世界にいます。それによって、家族も養っているし、ご飯が食べれて、ドーユーラボも運営できています。

さらに、後藤先生と出会えたこと、ドーユーラボのみんなとも出会えました。会社員の頃も、自分が考えたゲームやサービスでした。子供の頃から、好きなことに没頭して、いつの間に、学習に関連がついて、仕事に役に立ったことを伝えたいです。そういった生き方が理解できる、環境や社会、学校はレベルが高いのです。

ぜひ、良い頑張り方、楽しい頑張り方、みんなの好きなことやこだわりを利用して、良い高校にいき、自由を獲得してください!

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