窓際のトットちゃんのととっと。

Last Updated on 2019-04-05 by djnagureo

 

ドーユーラボの立ち上げから、早いもので1年。後藤先生に診ていただいて、5年が経過します。昨年の今頃、コンテナ倉庫を借りて、衣服や生活用具、自転車を置いて、安いホテルに泊まりながら、賃貸物件を探しました。

先生から紹介をいただいて、AさんやRくんをはじめ、「僕の子供のころに似たような仲間」と会えて、未来がみえました。

いま、元気で施設に「遊び」に来る子供達や学生を見ていると、ホッとします。なんとなく自分と似ていたりして、みんなの感覚に今でも僕は近いな、まだまだ親父子供だなと思っています。学校を中心に困っているみなさんが、数ヶ月で表情が柔らかくなり、同じような仲間がいれば、自分もふつうだなと思える環境になった、良かったなと、職員はもちろん、後藤先生のおかげであると思ってます。今、ドリルをはじめ、学習面の計画について職員に指導をしながら、厳しくなっていますが、皆さんのためですので、頑張りましょう。

最近、僕が子供のころの笑い話をする時がありますが、あまり伝えていないような気がして、今日は皆さんに向けて”描いてみたい”と思います。

 

|5年前にわかりました

40歳の頃ですが、今考えてみれば、過集中による虚脱が重くなり、後藤先生から診断を受けました。行動が多動ではなくて、「頭の中が多思考・注意欠陥」であることを、わかりました。30代は、見た目や話し方などから、広汎性やらアスペルガーであると診断がありました。もちろん昔ですから、まだ分からなかったことと、二次障害が重くて、雰囲気がそのように見えたのだと思います。後藤先生の診察で一転してADHD(多思考・注意欠陥)となり、意外な診断に驚いたのですが、先生の指導はとても興味深く、自分自身の内面に強い関心がうまれました。僕は、50歳を過ぎたら、ドーユーラボをやろうと思っていましたが、いろいろな事情があって、45歳になった昨年(2018年)に、開設の準備をしました。

 

|アスペか多動か

施設で面白いことがあります。私も当事者なので言い回しが雑で伝えますが、多動系の私の仲間は、周囲に群れずに夢中で一人で作業をします。アスペ系な方は、仲間と群れています。コンピュータ型とされるアスペ系のみんなは、仲間がいると群れてわいわいとやる。多動系な方は、似た部族があつまると学校とは別で、孤立をして作業を行うこと、くっきり分かれます。僕も、あまり仲間と一緒にいるのは好きではなくて、信頼をすればするほど距離を遠くする。男はつらいよという映画でで、寅さんがフィアンセと仲良くなると、遠くに行く気持ちと一緒だと伝えています。アスペ系の方には、「僕は避けているのではなく、信頼しているから遠くなる気質です。」と伝えます。

 

|多思考な頭の中の多動

みなさんに、僕の感覚について、「聖徳太子のように5人の話を同時に聞いて理解できる。」と伝えたり実験をしていますが、自分と関係のないテレビの情報や、他人の会話、広告、さらには街中で歩いていて見えること、余計な会話や雑音まで同時に入ってくること、先回りをしていつも先のことを考えすぎているので、答えや問題点が、みんなが考え出すよりも早く出てしまったり、まだ具体的になっていなかったり、目で見えない状況なのに、予測ができてしまいます。

僕の想像ですが、他の人から私を見れば、「無駄な考えが、起きている間、生きている間、ずっとずっと止まらずにいる」とも言えるし、爆速で考えることを止められない、生きている間はゆっくりにできないのだと思います。大人になってから、自分の問題である特性が仕事に生かせたこともあり、「自分の特性=障害=長所=短所」が全てあるので、大多数は、自分の特性は良かったと思います。だからこそ、自分自身を研究対象にしているからこそ面白いと思えることが多いです。でも、ほかの人から見れば、テスト前に頭を使う状況が止まらずに続いていると、心配されるかもしれませんが、生まれたときからずっとなので、苦しみは自分でわかりませんが、他の人がうらやましいと思います。

僕の自慢は「良い仕事とマッチングをすれば、職場には類する仲間がいて、気兼ねなくいられる。」「みなさんにふさわしい高いレベルの環境があれば、全く問題がない」後藤先生も伝えられていると思います。僕は、自分の特性を全開にして、仕事にできていることが多かったので、自信をもって伝えられます。伝えないといけないと思っています。

 

|放課後等デイサービス

「ドーユーラボ(どいうことの研究)」は、放課後等デイサービスという障害者向けの福祉サービスという業種名があります。僕は、このサブタイトル(放課後デイ)を取りたいのですが、福祉として助成をしていただいているので、仕方ないと思っています。

「自分は、多くの人から見れば、思考が深くて先に答えが出てしまうので、嫌味っぽく怒られる対象になる。」

「障害と受け取ってもらえれば、それも障害が原因ですと言えるので、かなり楽です。ありがとう」

と開き直る気持ちと、当事者の児童や学生は、

「友達や将来の就職などを想像をして恥ずかしい思いもあるのだろう」と思います。

また、僕が、プロモーションなどで、ギフテッドと伝えたり、天才児と伝えすぎてはいけないと考えるのも、ADHDやアスペルガーはこうだと、マシンガンに伝えすぎないのは、皆さんとおなじく、僕にも「・・・・という自分」を客観視をする力があります。自分の障害を認めることができなかったり、客観視することができない、凸凹全開で突っ走れる、似たような特性を持つ仲間とは、少々異なると思っています。多分、みんなは周囲に合わせようとすれば、みんなは合わせられるけれども、そのストレスや不適応が山盛りになって自分に向いてしまうのです。人に迷惑をかけない方法を知っているけれども、自分が疲れる。高知能凸凹は、社会はあまり知ることができない複雑な問題です。だから、合理的な配慮を求める意味で、障害でよいと思っています。数年後には、ドーユーラボに通所できる児童や学生はすごい、と言ってもらえるように頑張ります。

僕が、子供のころに、ドーユーラボに似た経験があったから、今の自分だ。それでよかったと思える。それがドーユーラボです。

 

|吃音(どもり)

僕は、吃音で良かったと思えることがあります。

言葉が思い通りに出ない吃音(どもり)は、幼稚園から始まって、大人になると軽減をして、30歳を過ぎると気にならなくなりました。子供の頃は、国語の朗読や人前で話すことに恐怖を覚えました。自分が朗読をする段落を先に予測をして、言葉が詰まるであろう部分に印をつけて、助走をつけて誤魔化す分析をしました。この原因は、自分がどもってしまうことよりも、自分がどもった時の表情を、周囲の人、先生が驚いてしまう反応をすることを、すぐに察知できることが一番大きいです。僕は、自分が見える範囲においては、全員の表情が見えてしまうのだと思います。

この問題が原因で、あがり症がひどくなり、僕は人前で運動を見せたり、楽器を演奏をすることは、自分が自分で楽しむ以上に、他の人が自分をどのようにみているのだろう、という恐怖で失神しそうになりました。また、どうしても発音が困難な単語がある場合には、似たような類語を探して置き換えたり、伝えたい内容に対して、一言で良いのに、類する周辺の語彙を活用をして、遠回しに伝えるようになりました。吃音を重症化したに違いない、と今は思います。本当に思っている気持ちが言葉に出ない。感情的ですぐに伝えたいと思うことこそ、思いが強すぎて言葉が出ないのです。

でも、良いこともあって、自分は言葉を探す作業があることで、誰よりも先のことを考える、頭の中の連想や、他の言葉に置き換える類語の展開や飛躍がスムーズにできるので、その頭の使い方で、条件の分岐が奥深く考えられて、いろいろな知識を組み合わせるので、問題解決能力が高いことと、緊張をするような人生の困難な時に、気持ちに萎えずに限界まで考えられること、1つの事象を様々な視点で分析ができることは、この歳になって他の人にはない技術だったのだとわかりました。また、言葉が出なくて、リアルタイムな表現難しかった自分への表現の代替が、「作曲」だったと思います。大人になるとどもりが軽減をして、30歳をすぎると気にならなくなったこと同時に、作曲などの音楽に関心が下がったのも、この頃です。悪いことは、良いことでもある、治ると、悪くなることもある。

後藤先生が言われる、メビウスの輪で、表が裏になり、内側が外側になったり、良いことも悪いことも二極化できない。バランスをとるわけです。

 

|同世代と話が合わない

僕は、こどものころは物知りで、大人並みの知識がありました。そして、学校の勉強も退屈で授業の内容は聞いていればだいたいわかりました。自分を理解してくれる先生に恵まれて、「大人のように接すること、大人の中にいることがよい」と両親に指導いただいたそうです。でも、年齢以上に、難しいことに興味を持ってわかってしまう自分に対して、一般的な友人や仲間は、自分を裏では避難をしたり、みんなから私へ嫌な思いが相当あったと思います。親からは、「わかっていてもわからないふりをする。」「みのるほど、頭を垂るる稲穂かな」と教えられました。

今考えれば、よくないことですが、自分はボケたり、知らないふりをする、空気を読まないようにすることで、嫌味に思われることが軽減をして、学校生活を送ることができました。

「周囲に合わせると、自分の心には深い傷が生まれます。」

「周囲に合わせないためには、”生活を経験する場所”を変えよう。」

と今の自分は思います。

僕は、一般的な愛情や感情の世界では、かなり冷たい人です。本当のことを言いすぎたりしますし、周囲と合わせるためには、感情を殺さないと適応できません。それでも、歳上の方や、自分以上に高次の人がいると、自分はとても安心をして、自分が考えていることは、相手も自分以上に当然考えているとして、そのまま直感や思いだけで突っ走れます。同世代ではなかなかいませんでした。

私の育った家庭は、かなり昭和で体育会系でもあり、変わっていましたが、愛情というよりも、”熱情的”な家族でした。僕の父は、実の子供の用に大切に育ててくれました。母親も自分にそっくりな性格で、活動的でエネルギッシュです。でも、僕はその思いは受け取れずにいて、心を閉ざして内向的でした。知的なことのレベルが合わなかったからです。

それでも、今の施設にあるような、PCはもちろん、シンセサイザーやアマチュア無線はもちろん、オーディオにいたるまで高度な趣味や、書籍など興味津々で学べる環境はありました。私の親は全く理解ができないものの、惜しみなく僕はこの環境を用意してくれました。僕は、大切に育てられたことは間違いがないのですが、家族や地域の中ではかなり特殊でした。

自分の興味な話ができて、本当に自分そのままでいられる友達は、学校に一人ぐらいしかいませんでした。細かい分野にマニアックな児童はいましたが、私の場合はかなり広範囲に好奇心は旺盛でした。なかなか自分のレベルの友人はいないので、自分が相当おかしいと、自尊心が低下していましたが、この技術と、ゲームという当時の子供にとっても共通な話題によって、頑張ることもできました。

みなさんには、みなさんが面白い、興味ふかいと思える大人を探して、たくさんお話をすることを勧めます。クラスの担任の先生ではなくても、自分の意識に近い先生を探し、雑談をしてみましょう。

(学校の先生も、勉強を指導するだけではなく、これまで生きてこられて経験をした、雑学をたくさん話してもらいたい。あるいは、個人の趣味や興味など、幅広く知的な先生を僕は求めます。)

僕が、社会に出たほうが良かったことは、自分と同じか、それ以上の仲間に出会えることです。みなさんお気づきになられると面白いと思いますが、後藤先生からの卒業生の方や、先輩を見ていても、

「多動やジャイアン調全開な人は少なくてまるで当事者とは思えず、相手に慎み、敬意をもったお話ができる方がたくさんいらっしゃいます。」それは、自分の問題や悩みを早期にわかり、考えて、自分を突っ込んでいる方々で、僕は痛いほどわかります。一見、当事者とは思えないぐらいです。

ドーユーラボのみなさんは、社会に出たら、おそらく、その時代の最先端な仕事で、似たような同士がいたとして、喜び合える職場がたくさんあると思います。自分で見つけられるように指導をしたいと思います。

 

|過集中

ドーユーラボでは、過集中の仲間が集まっていますが、僕の時代にはこの集中は有名ではありません。自分は、ものすごく興味深いか、ものすごく不安かの両極端で過集中がおこります。多分、普段よりもIQが20ぐらいあがるかもしれないぐらい、超人的な作業をすることができます。学校の勉強はもちろん、仕事も、完璧にこなすことができます。そして、自分は時間が経つと集中力に依存をして投げやりになってしまう自己ツッコミがあるので、嫌なことは真っ先に実行をする癖が着きました。

そして、究極な完璧主義ですので、(みなさんも後藤先生に指導を受けていると思いますが、)周囲の人は疲れて、ついてこれずに倒れてしまいます。分散をさせるために、自分の興味が拡大をしていくのも確かに興味はあるが、難しいテーマを設定をして自分の集中を分散をさせて、考えるネタを平行作業しないとまずいからです。自分は、問題点や事故を先に見抜けるのですが、周囲は気がつかない部分なので何に怒り、集中し、作業や対策をしているのか、わからない。その後、問題が生じた際に、やっておいてよかった。そのようなことがたくさんあります。

 

|ついでにワーキングメモリ

私が学習が困難だったことは短期的な記憶で、単語や簡単な決まりごと、覚えることが苦手でした。そして、つい先ほどの内容を忘れたりすることも多くありました。確かにADHDです。理解はしっかりできているのに、用語や語彙が覚えられないせいで、学校の成績はそこそこでした。短期記憶(ワーキングメモリ)が少ないせいで、考えたりする力が増えたように思います。今の私から見れば、理解はできているのに、基礎問題を不注意で間違えるので学校のテスト=日本の勉強の仕方に合わないなと、思います。私は、多少知能が高い程度ですが、推理や推測、単語や知識が17-18点あるのに対して、数字や記号など意味のないことや興味がないことを機械的に覚える記憶が8点ですので10点以上離れています。このギャップが学習障害傾向があって、基礎問題を落としがちでした。

 

|窓際のトットちゃん

徹子の部屋で有名な黒柳徹子さんが子供の頃を回想をした「窓際のトットちゃん」は、僕が子供の頃に大ヒットをした物語です。早口で会話がとても面白い、黒柳徹子さんは近年になって、自分がLDやADHDであったことがお分かりになったそうです。この本がヒットした時には、

「風変わりで楽しい黒柳さんは、子供ころもずいぶん個性的だった。」と。自分が現代でいう障害であった、とは思わなかったそうです。確かに、僕から見れば、黒柳さんのマシンガンなトークは、吃音を抑えるために考える思考と同じ速度で言葉を発する手法を編み出したのだ、と気がつきました。

つまり、吃音の仮説として、考えている思考はずいぶん先に行っているが、言葉は遅くて、そのディレイ分バッファメモリ(ワーキングメモリ)が少ないので、思考の速度を落とさなくてはいけない。そうすると、今現在に処理速度の速い思考を維持しなくてはいけなくて、周囲の観察も含めて余計な処理=表情や、相手の思いなどの推測をしすぎてしまう。視線恐怖=対人恐怖=緊張をするから、吃音ではないかと思いました。考えていることの速さに、自分の言葉もついてこれるような話術が、世間で認められてキャラクターになっているように思いました。よって、黒柳さんが年齢を召されて、口が回りづらくなると、吃音が表面化していくように察します。(という推測)本題ですが、「窓際のトットちゃん」は、トモエ学園という自由奔放な学校によって個性を開花してのびのび過ごせたということです。学校をクビになる(退学)トットちゃんは、ブレずに、そのまま大きくなって、大活躍をする著名人になったわけです。

黒柳さんは、「窓際のトットちゃん」から十数年後に、この本を読んだ医師から「LDではないか、ADHDではないかと言われて涙したそうです。」それは、悲しい意味ではなく、類する人がたくさんいた意味や、苦しいことの共感など、前向きではあるが、考えないで涙が出たとかかれてありました。

僕は、ドーユーラボのみんなも「トモエ学園」と同じように考えてはいます。一般的なアスペルガーやADHDといった障害とされる児童と、みなさんが異なるのは同じ障害でも、ご自分のことを痛いほどわかり、周囲との関係の取り方が繊細で苦労をしていることなのです。知能が高くなると、凸凹も大きく出るとも言えますが。

僕は、後藤先生から長年学んだこと、深夜まで診察をしてくださった経験とその内容を自分だけではなく、日本中の児童や大人の方へ「発達障害そのこと過集中」にならずにフラットに伝えたいと思います。私の人生や経験、先生のご指導がもっともっと生かされるように、

当事者である児童、大人も、教職の方も研究しあえて、未来に期待ができる施設を作りたいと考えています。

今後も当事者として、細かいことは、今後みなさんに伝えていきます。

ありがとうございます。

 

南雲玲生

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