ドーユーラボの1年 理解が苦しくても、関心を持ってくださること

Last Updated on 2019-03-21 by djnagureo

 

 

 

不思議な伝え方ですが、音楽からゲーム業界、IT業界を経由して、沖縄県沖縄市で放課後デイサービスを開設しております。2014年から2ヶ月おきに沖縄を訪ね、2018年の2月-3月の受験シーズンに、沖縄に住み始めました。

新しい事業を立ち上げるために、南国の沖縄でたくさんの人と触れ合い、緩やかに受けいていただいて、4+1年になります。僕は沖縄の方たちが大好きです。

 

児童のかかりつけ病院をお願いをしている、大きな病院「沖縄リハビリテーションセンター病院」があり、新規事業のお手伝いをさせていただいています。私の研究を教えてくださる、精神科の後藤先生のご縁で紹介してくださいました。医療法人タピックの宮里理事長にお会いして、私のこれまでの経緯もあり、新規事業などアイデアを受け入れていただいてます。

先日、その医療法人が、子供の育成ためのこども園を開設いたしました。

東京から急いで向かいまして、遅刻をしましたが落成のご挨拶にお伺いいたしました、幹部の方や、お目にかかっていない方でも、私のことを

「施設を作った、東京のゲームクリエイターで、音楽家など多才である。」と、お褒めの言葉をいただきました。

理事長が職員や病院の幹部の方に、事前に私について紹介くださっていることがわかりました。また、風邪をひいたり、首を痛めてこの病院に通院した際にも、職員や医師のみなさんも私のことをご存知で、雑談をして、診察してくださることは、とても嬉しいことです。

 

思い出せば、私は、20年前に、音楽ゲームのはしりである、ビートマニアという音楽ゲームを開発しました。ゲーム好きな人の中では、有名人となり、自分が知らない人でも自分のことを知っている、希少な経験をしました。多少有名人であることについて、当時は複雑な思いもありましたが、新しいことにチャレンジする際、研究について、周囲の方の協力によって進むことが沢山ありました。有名人は、面倒臭いと思うこともありましたし、当時はそれが当たり前でしたが、今になって素直に受け入れられます。

沖縄のために全力で事業を展開されている、理事長や病院、そして地域の皆さんとお会いできたこと。一人で内地から来た者を、病院を中心に地域の方に知ってくださっていること、私の活動に理解をしていただき、伝えてくださることは、とても嬉しい気持ちと、それ故の地域や社会への責任も感じております。

 

経済界で活躍されている、理事長が私を紹介くださっていることはもちろんですが、

沖縄の私の社員も、県や市の役所や地域の教育関連機関、学校、福祉の方々、たぶん飲み友達に至るまで、私について紹介をしてくれています。

だから、私が初めてお会いした時に、その方々は、私について事前に知ってくださっているのです。

同じように、私の横浜や東京の古くからの知人や先輩も、私を紹介くださり、私も気兼ねなく伺えたりする機会も沢山あります。いろいろな職種、いろいろな価値観を持った方が、ゲーム作りで勉強を学ぶこと、ITやパソコンについてわからなくても、

「私がチャレンジをしていることについて、理解が苦しくても、関心を持ってくださっている。」

大切なことは、「理解が苦しくても、関心を持ってくださる。」ことです。話の内容や目的が異なっても、社員がトップの活動に興味、関心があったり、組織全体のことを社員一人ひとりが誇りを持って発信できている。

私の、東京的な仕事の仕方は、沖縄の風習や意識も全く異なり、ある部分では非常にドライで合理的で、厳しいことも伝えます。本気で怒りました。

それでも、私を受け入れてくださったこと

「その地域で、私を中心に新しい施設が成り立ち、職員があつまり、団結していき、組織が生まれていきます。そして、児童のご家庭や学校までも広く伝わります。」言い換えれば

「内地から来た先人の後藤先生の卒業生が比屋根な集まり団結していき、次の世代をサポートしようと新しい組織が生まれ」社員が誇りに思い、地域の皆さんに少しずつ理解をしていただいた。喜びを感じております。

 

私は、面倒な性格で、人付き合いは繊細なことも多いのかと自覚し、たくさんのストレスを抱えています。偏った特性で相手の裏や表、関係性など考えすぎることを、子供の頃から周囲に関心のないように振舞ったり、その場の雰囲気を悪くしないようにと思ったり、人と人を経由した先の人からの私の見え方など、考えすぎ、感情を抑え過ぎる適応障害が重症でした。

ドーユーラボ では、結果としては、標準以上の高いIQの凸凹児童としております。私は児童の先輩になります。多分周囲は、この人は表だけ見れば、多動に思える。深く付き合うと、心の世界は面倒臭かったと見えると思います。これまでの多面的な顔で破綻に向かった私は、適応障害の解消と、ADHDとしての解決方法を経て、答えの想像すらできなかった、新しい経験を所有したことで中間地点に着地をしようとしています。

仲間を紹介し、伝えること、僕も社長として沖縄でやっております。いま、ソフトランディングで、沖縄から目的地東京へ逆戻りでむかっております。

 

私は、職員に私を褒めるではなく、私を伝えなさい、組織を伝えなさい。会社を褒めなさい、アピールしなさいとジャイアンとなりました。

 

南雲玲生

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