僕にとって、
『それだけで東京から沖縄へむかう』
ぐらい、とても楽しい時間がある。
子供達と接する時間。
特にトランプ大会で、多分一般的な人であれば、
面倒くさいのだけれども
僕にとっては、面白いし、これなのだなと、気づきがある。
トランプを始める前に、独自ルールの調整はもちろんだけれども
みんな必勝法など作戦を立て始める。
Aさんは、『じゃんけん』の勝ち方として、統計的に相手の癖を見ている。
自分は、トランプの『ダウト』において、自分の数は何周先まで
参加メンバー数で、わかるので捨てるダウトカードはあらかじめ予測がつく。
僕は、Rくんは、『どらえもん』が大好きだから、
『グー』から無意識に出してしまい、じゃんけんよわーになるのかなと思った。
児童もみんな、作戦をしっかり考える。考えすぎるが楽しい。
また、おやつの買い物の話をしていて、『お菓子を安く買う』テーマで
安くても遠かったら燃料代がかかると、話が出た。
お菓子貯金をして、記録をつける。
やはり、同世代と比べたら、先のことを考えたり、深く答えを求めていて
全員大者になる風格がある。
はっきり伝えると、ネット上にある
『IQが高いひとの特徴』、『ギフテッド』などの記事は、微妙だ。
(高い人が書いているわけではなく)
ずば抜けて高い部分は、できて当たり前であるので、本人は得意に思ってはいない。
むしろ、できない部分の方が、本人の自覚が大きすぎてしまう。
恵まれた才能については、本人は無自覚で
できないことが、本人は大きく気がついてしまうのだ。
この問題の対処は、『本人よりも経験がある人』が褒めたり、伝えることだ。
とても難しいことは、親御さん以外に、本人を超える者が周囲にいなかった不幸だ。
50代の後藤先生から、40代の南雲に続いて、先生つながりの職員、高校生、中学生
そして小学生につながる、『高知能な仲間』たちは
面白い=おかしく=世の中にとって面倒なことを、興味本位で考えて
『教えようとしなくても』
下の世代に、知恵を『空気』で伝授していくのだなと。
『言葉を使わなくても、理解しあえるお兄さんやお姉さん、先輩だと思える。』
『自分の悩みや辛いことは、先輩たちもわかる。』
そうなれば、良いなと思っていたが、自分の理想通りになってきた。
自分の思いは、レベルの高い高校や大学に行かせたい。
経験上、偏差値が60以上の学校はイジメも少なく、校則もゆるい。
自主性を重んじた自由な学校が多い。
生徒もイジメをすることの意味もわからない。
人は人、自分は自分だから、同調圧力はない。
好きなことを極められる環境もある。
最近、大反省と、取り戻したい時間がある。
僕の子供達で、ひやごんの仲間を見ていると本当に思い出す。
僕は、兄弟のように子供に接してきて、
特に男同士でもある、
息子は、好きなことや興味を、子供相手と思わず(申し訳ないが)一方的に伝えてきた。
それでも、興味をもって、『ついてきて』くれた。
良かったこともある。
だから、今は、沖縄と同じぐらい、自分の子供達に接する時間を増やしている。
二人の子供達は、大学生になったら、離れ離れになるかもしれないから。
僕のわがままな父親経験は、施設の児童を育てるのに役立っている。
そして、自分のそのままな姿が、自分の子供達にも
何かしら影響を与えていたら、良いのかもしれない。
そのように思う。
そろそろ細かいことを伝えず、自然な流れに任せることとした。