子供の頃を思い出す、「ユーミン」にニアミスしたクリスマスの少々カッコ良い話を。
大切なエピソードがあって、
一昨年のクリスマスイブの日に、新大阪駅で新幹線に乗ろうとした。
思わず、JR東海のCMで、ユーミンの『シンデレラエクスプレス』や
山下達郎の『クリスマスイブ』を頭の中で鼻歌を歌っていた。
新幹線を待っていながら
メールチェックと、老眼もきついので、スマホを離していると、目の前で
難しそうなおじさんや、広告代理店っぽい、
サラリーマンでもない不可思議な人から睨めつけられた。
『なんだ??』と思った。
・・・『松任谷由実(ユーミン)』さんがいて、スタッフに歓談やお礼を伝えている。
ユーミンを写メするな。という圧力だったに違いない!
僕の世代からすれば、好き嫌いに関わらず・・・・・走馬灯だ。
実は、初めて買った(収録済)カセットテープは、
松任谷由実さんの「守ってあげたい」が収録されている
『昨晩お会いしましょう』だった。
1981年だから、8歳。
家の近くの伊勢佐木町の今はないレコード屋さんで、曲名がわからなかったから
口ずさんで、店員さんからカセットを手にした。
昔の曲の最後は、f.o(フェードアウト)が多くて、曲の最後は、逆にボリュームをあげて
小さくなる伴奏や、クラビネットの音を聴いた。
曲が好きすぎると、音色やフレーズをずっと追っていくので
大人になって、作曲を仕事にした際に、とても役に立った。
新幹線の席に座ると、スタッフに囲まれていたが、
自分の斜め前に、ユーミンは座った。落ち着いてはいられない。
自分は、リアルユーミンの斜め後ろで、ずっとユーミンの曲を聴いていた。
NO SIDEは、高校の授業で必ず歌ったし、ピアノも弾いたなと思った。
僕は、面倒臭い性格で、音楽の理論はわからなかったが、
歌詞をみたり、アレンジや演奏するスタッフを確認した。
ユーミンというのか、松任谷正隆さんのアレンジもすごい。
DOWN TOWN BOYなど、Steely Danや当時のアメリカのHALL & OATES風だった。
Billy JoelのUptownGirlもこの頃だ。
歌詞は今でも、いまだからキュンとくる。
「アニキは電話さえとりつがないの」
「工場裏の空き地、今ではビルが建ってしまった。」
2020年になろうとする今も、古くならない。
考えながら、松田聖子にユーミン(呉田軽穂)が書いた、
「瞳はダイヤモンド」は、イントロの展開
D7 E-7などかっこいいな、とか、
この曲の歌詞「映画色の街」って何だ?って思ったが、ギターのカッティングからして
クリスマス、大阪の北新地の飲屋街の深夜の色だった。
僕は、感情や気持ちに鈍感だから、意味もなく、涙が出ることがある。
でも、その涙は、コンピュータな自分には全く意味がわからない。
後になって、自分を解析をして意味がわかる。
赤いスイートピーのイントロも、4小節目のベースと和音の感じが、グッとくる。
僕は、大好きで、好きで仕方ない場合、細かく分析をする癖がある。
松田聖子さんも、歌詞が2番、3番となるにつれて、ツッコミ気味な歌
歌をなんども録り直したのか、思いが深くなるのが、声がハスキーになる。
ご本人を前に、聴いているうちに、品川に到着したのだけれども
すでにユーミンはいなかった。名古屋で降りたのか。とても不思議だ。
懐かしい音楽は、子供の頃の思い出や、感じ方、
受け取り方を振り返りながら
大人になる恐怖や、大人になった時の自分は
今(当時)を振り返れるのか。心配になった。
実は、このあと、日本がバブル期にはいると
世の中が「多数派」で「ラディカル」に入り、当時の自分は暗黒だ。
なんとなく周囲と合わない感じ、
「いじめ」や学習の苦労もあったのだと思う。
今思えば、内向的に音楽をひたすら聴いていた「自分」と
何か切り開いて、他の人とは異なると、
開き直って歩き出した20歳前後の「自分」はどのように生まれたのか、
悶々と考えている。
昔の曲を聴きながら、脳波を測定してみる。
激しい曲でも、「meditation」だ。なるほど。