Last Updated on 2018-11-29 by djnagureo
なつかしい育った街
トラウマという言葉がある。
後藤先生によると、
「ASDは、一度経験をした記臆を修正することが難しい。」
と指導をいただいた。
自分も、嫌なことはなかなか消えない。
45歳になって、申し訳ないことも、よくやったということもあったが
人生一回。
今の自分が良い時は、良い解釈になったり、まあいいか!ともなるので、やはり多動なのだ。
‖思い出を上書きをしてみる
僕は、「せつない」場所に行って、
「当時」と「今」の思いを比べるようにしている。
当時と今は気持ちが異なる。
35年前の周りにいた仲の良い友達は、今は疎遠で、自分は自分の生活をしている。
同じことを、数十年後にも感じるだろう。
友達は友達の人生を歩んでいるし、自分は自分。
今も振り返れば、
「ランドセルを背負っていた小学生の自分」と、
「車を運転して、その通学路を走る今の自分」は連続をしていない。
大きかった道は、とても狭いと思うし、
免許を取る前は、一方通行など、気にせずに歩いていた。
昔の自分は、違う自分のように思う。
地方に行っても、
「スーツとネクタイをして営業をした昔の自分」と、
「当時を回想するように、今、ジーパンで歩く自分」の気持ちも連続していない。
少々のことは動じない、図太い45歳になり、
その時の解釈と今の解釈も、私という存在も異なる。
‖未来の自分が今を想像することを考える
「大人になった時の自分を想像して、いつか今の自分を想像することを想像していた。」
過去進行形のような節だけれども、
「自分が子供の頃、自分が大人になったら、自分を省みることを予測した。」
20歳、30歳、40歳になるとは思えなかった自分を想像をしていて
今の自分は本当に良いのかどうかを思った。
5年前、40歳の自分は、午後に力が抜ける虚脱で苦しんでいた。
午前中は全開で働くものの、午後に気力が切れてしまう。
更年期障害と思い、1年間一般的な病院で治療をした。
それでも、回復をしなかった。
5年後の自分はどうなってしまうのか、と思った。
‖過集中な自分
5年前、病院へ通う際に、電車も車も動くものに乗ることと、消費カロリーを気にして
極端な罪悪感があった。
「藤沢駅でおりた自分は、茅ヶ崎駅にある病院まで一駅、頑張って歩く努力をした。」
「スポーツジムに通い、−20キロの減量をした。」
1年間の努力も無常で、回復をしなかった。
自分は、根性が足りないと思って、減量を続けて、めまいや立ちくらみが起こるほどになっていた。
過集中の虚脱が起こったわけだが、虚脱は当時はわからなかった。
‖中年の危機
40歳から45歳までの5年間は、たくさんの方に助けられて
たくさんの方に迷惑をかけたと思っている。
そして、本音や「言葉上の嘘に噛み付いた」5年間だった。
「多数派は、本当のことをいわない。」として
本当のことを言わないことを、自虐的に誘引したり、確かめるために戯けることもあった。
自分自身の本当と、これから衰える自分を鑑みて、内省的になったと思う。
そして、本当のことを、厳しくも伝える開き直りと、
思っていることを言わない卑怯さも身についたり
あえて、言わない、逃げることも、よくわかったように思う。
‖次元が異なる見え方。
面白いことに、今年は「沖縄」にいる自分の忙しさによって
東京や横浜をしばらく離れていた。
自分が育った町や、昨年まで44年間生活していた場所は
沖縄を意識の中心として見た「横浜」になっている。
大変なこと、難しいこと、苦しい時には
置かれている、今を俯瞰をするために、身を離れることも
大切だったなと思う。
今、60歳になる自分を想像している。