マルハラの 正体みたり 枯れ尾花 「。」が伝える 非言語情報

 

こんにちは。

DYLの中園です(ジャイアン型ADHD)

チャットツールで「。」と句点を打つと、若者たちにとってそれは怖いという印象を抱かせ、「マルハラスメント」という新しいハラスメントになっているそうです。

僕は36歳ともう若くありませんが、これに関して、僕の経験則から、実はその気持ちが理解できます。

 

回想シーンに入ります

スマホが登場する前は、日本人は皆、今で言うガラケーを使用していました。

ガラケーでは当然チャットツールは存在せず、急用ではない文章のやり取りは全てCメールやショートメールという、LINEやSNSのDMよりは遥かに時間がかかるメッセージサービスで行っていました。

凄いことにその頃はもうすでに絵文字はありましたけどね。

その頃10代の僕といえば実は携帯電話にはあまり興味がなかったので、機能が少ない折りたたまないガラケーを使っていて、メールのやり取りの際も、絵文字を使う方法もロクに調べず、「、」「。」などの句読点や「!」「?」のみでメールを送っていました。

それに、絵文字を記入する方法を教わった後でも、ガラケーは上下左右ボタンや真ん中のボタン等を駆使して操作しなければならなかったので、絵文字を探している間に書きたいことを忘れてしまったりで、結局絵文字を使うことはありませんでした。

頭の中にある事をすぐに書かなければ順次忘却していく、という、ちょっと似たような理由で字も汚いのです。恐れ入ります。

そして僕が20~21歳くらいの2009年頃、持っていたガラケーiPod miniが同時に壊れたタイミングで、それらの機能を同時に搭載したiPhone 3GSという名機が日本にやってきたので、すぐにそれに乗り換えました(そしてここからガジェット好きになりました)。

当然、iPhoneでは画面タッチで直感的に操作できるので、絵文字を出すのも簡単にできることから、そこからやっと絵文字を使い始めたのですが、そこで友人たちはこぞって

「あ!ついに絵文字を使い始めた!今まで絵文字が無かったから何となく怒ってるみたいなメールだったから良かった!」

と言ったのです。

 

マルハラの話に戻ります

一応、昨今のマルハラ議論は若者と目上の人の認識の違い、という構図ですので、仕事上でのチャットを想定して書きますが、僕のこの経験則からいうと、若者がどうこうというよりも、

”絵文字という手段がありながら、この人は敢えてそれを使用せず「。」を使用した”

という非言語メッセージを受け取り、それが例えばそれまで普通に使われていた絵文字が急に無くなり「。」で締められた場合、「怒り」や「急に冷めた」といったニュアンスを感じてしまうのではないでしょうか。

なんなら、友人同士でのやり取りで、「怒っている」や「冷めました」、「もう眠いです」といったニュアンスを暗に伝えたい時に、その非言語メッセージを込めて「。」を利用するのがとても便利で理にかなっているので、その認識のまま上司の「。」から威圧感を抱いてしまうという事例もあるはずです。

それに、もしかしたらですが、「若者では無い人たち」が「おじさん構文」「おばさん構文」とイジられる事に過剰にビビって絵文字を排除しすぎた結果、「。」で締めることが多くなった、という複合的な理由もあるでしょう。

合理的に考えると、まずはコミュニケーション上で生じる齟齬を最小限に止める事が仕事において最も重要な事であり、そして絵文字はそもそも、感情や細かなニュアンスを伝える事を目的に発明されたものです。

ということで「。」の代わりに絵文字ひとつか二つくらいが良い塩梅かなと思いますがいかがでしょうか。

 

 

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