Last Updated on 2019-02-11 by djnagureo
先日とても嬉しいことがあった。
悶々としていたことを、周囲の人が的確に言葉にしてくれたことだ。
自分は事実や結果、結論は爆速で伝えられるが、鋭く観察をしているのに、自分の気持ちが悶々としてすぐにわからないのだ。
気持ちを伝えるということの存在を忘却し、はるか昔に、気持ちを伝えることそのものを置いてきてしまったこと”だけ”が、最大の障害と考えている。
||感情はおなら
感情はオナラのようなものと、だれかが伝えたらしい。なるほどだ。考えてからオナラが出ることは、すでにおかしかった。オナラが出るのに我慢をしすぎると、溜まりに溜まって、えらく音が大きくなる。僕は、オナラを気付かないように、静かに出すスカシッペ常習犯だが、オナラをしない人と思われていたかもしれない。自分が反応をしていないから、仕方なく無理をした反応をすると、それでも良いと思って、周囲が間違えて、自分はもっと悪く受け取ることがあった。アスペルガーに似ていると思われていたが、実はADHDに起因する空気を歪んで意識しすぎて思いが出ない、アダルトチルドレンな適応障害だったことがわかった。
今回の件は、些細な僕の変化をみて、はじめてキャッチしてくれたのだ。色々あると思うが、本当に嬉しかった。周囲の人が自分の障害のレベルに気が付いて、私の立場としては伝えにくいことを先回りして対処をしてくれたのだ。
反面で、とても嫌なことがある。自分の知らないところで自分について語られることで、別の人同士が共通して、自分への微妙な変化を察知できるからだ。ADHDを隠すこともないと思っているが、だれもがADHDについて理解が深いわけでなく、気を使わせたり、逆に理解を強いるわけにもいかない。自分は、それが見通せてしまう。
最近はネットの文字通りの理解をして思い込みすぎたり、また、似たものが集まるから、自分もそうかもしれないと悩む人、名称を聞くだけで嫌悪感があることを想像できる。面倒くさいことになるので、勝手に第三者に私をADHDと伝えて欲しくないこともある。本当は痛みを分かち合える仲間なジャイアンは私を敬遠しだし、未診断の積極奇異の人が、遠くからわざわざ僕に大集合して勝手に(あなたも私を理解できなかった。)として、ブチキレることを先読みできるから、危険を察知して、自分はきっかけすらつくらないようにしている。
茂木健一郎さんはADHDで何が?。診察も二次障害がなければ、受けなくてもよいと。
僕は、付け加えると当事者を取り巻く環境が変化するから、伝えることは慎重と思ってます。
||すかしっぺ
自分は注意欠陥は目立たない、頭が多動なADHDだ。あまり親しくない知人が、私に対して過剰に配慮し、説明を順にしだして障害者対応しすぎることがあった。様子がおかしいと思って尋ねると、自分が信頼をしていた人が、私がADHDであることをメッセージや雑談で伝えたらしい。デリケートなことを、自分に関係のない人に伝えたなと思い、あんたこそ不注意だと直下型に激怒して縁を切った。言葉が一人歩きして、障害を全般的に捉えすぎることが多い。自分は部分的に障害かもしれないが、ある場所では、クリエイターだらけでクリエイターを求められていたり、昔の私のような多弁な独演会を聞きたいという人もいるし、もっと繊細な場所では、あなたは空気が読めないと言われるだろう。人によって、障害は受け取り方が異なるから、僕は性格なようなものと思っている。茂木健一郎さんと考え方は近い。
嫌な思いとしては、こんなケースもあった。東京でとある若いご夫婦が私に「うちの子供がADHDで」親戚中から、落ち着きがなく、変と言われそうで、私たちは普通なのに何故この子だけ、ショックであると、自分の前で泣き出した。その時、僕は腹立たしく混乱をして、何だかわからなくなった。本当は怒りがあるが、笑顔で取り繕うとした。このご夫婦は、僕がADHDと知っていて相談をしているのに、あなた方が悲観をする嫌な人生なのだろうか、私は?と思わせてしまうことに気づいていない。この両親こそ心の理論が乏しいので、心の中ではあなた方も、凸凹で良かったですね、と心はスカシッペでガス抜きをして、スッキリした。
表情は寄り添って聞いている。ということを考えているので、相手を配慮して僕の心が表に出ない。相手は、それでよいと思っている。内心は言葉でまとまらないほどムカついている。言葉にならないから、怒れないと思っている。それでも、親しい人には、気を使わせないためにも、ムカつきを正直にストレートに出した方が嘘はない。距離が遠い場合は、相手に気を使わせないためにも、アダルトチルドレンはよい面ともいえる。
||WAIS-3 知能テスト
いま、オナラのように、すぐに心が反応できずに、嘘の取り繕いしたり、深く考えてしまう障害について知能テストの分析をしている。
アダルトチルドレン=母親の育て方が悪い、馬鹿野郎と責任転嫁ではなく、なぜ?と自分で考える自己ツッコミだ。
無条件で凸凹ですと、後藤先生が伝える通り・・・
赤が標準以下だ。自分のマイナス特性なのだけれども、
「語音整列」と、「絵画完成」が標準よりもひくい。
・「語音整列」数をどのくらい覚えられるかということ。無意味な情報を覚えづらい、忘れやすい
・「絵画完成」絵画の足りない部分を補う力。視覚的な情報の受け取りが弱く、間違える
まあ、ADHDだ。
プラスの特性は、
絵画配列が高いこと=未来に対する想像力が高い。
記号探しが高いこと=抽象的(漠然とした情報)から読み解くことが高い。
たくさんの情報を読み、結論にまとめたり、IT企業であれば統計(KPI)などは、グラフや数字を見れば考えなくても答えが出る。本も、速読は当たり前で、流し読みをすれば、だいたい何を伝えたいのかわかるので、目次と、はじめの方と終わりを読んで最後に真ん中をざっと読めば流れは理解できる。文脈や内容はすぐわかるが、抽象的に理解をするので、語彙を覚えたり何ページ目に何があった?という学習的な記憶はしていないので、学校の勉強には向いていない。
そして、頭の中で情報が連鎖をする速度が速い。全然別の時間で起きたことと、今起きたことが、音や意味が近かったり、リンクをする。自分の特徴はこの部分だ。
未来のことばかり考えるので、将来への不安がとても高い。今、準備や用意をしないとマズイ、と思ったり、計画を立てることが好きだったりする。絵画完成が低いことから、「視覚的なその場の状況変化が鈍い」が、絵画配列の高さによって「今、このような状況であることの、意味は何だろうか?」「Aさんの表情が曇っているので、もしかしたら・・・・」仮説が連鎖をしてたくさん考えられる。
過去から未来への変化の予想は膨大に想定ができるが、不安が大きく、常に先の想像をしながら生きている。アダルトチルドレン傾向も、全体や場面をみてこの話のようにしておいた方が無難。と察知しすぎる可能性がある。
||経験の所有
・・・・という分析はするものの、テストがすべてではない。不注意や衝動性を、将来を考えすぎる物語的予測で補っていたこと、アダルトチルドレン的な感情がすぐに出ない分、メタ認知(自分を自分で見る力)が高く、状況を自己分析できる。ということを、自覚するための数字の羅列だ。自分を厳しく律して逃げないためともいえる。
じぶんのことは、じぶんではわからない。だから、時には数字でみることも大切なのだ。
それでも、わかったところで、経験から自分にしっくりくるまでにも数年はかかる。
以前のブログのように、診断告知やカミングアウトによって、時間をかけて環境も数年かけて変化をする。
いま、自分は変わってきている。数年後の自分の問題のためにも、今の外側の世界が中心的な自分でwaisテストを受けてみたいとも思っている。