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よみすぎること

 

 

時には深刻で、時にはお笑いな、「認知の歪み」な自分の問題をあげてみます。

文章は、そのままなので、読みづらいと思いますが、

「このくらいのことを、こんなに考えている?」

あるいは、

「思うことを、考えるのか?」の例です。

 

 

ADHDは「整理整頓ができない」、とか「物を忘れる」といった

表面上の「結果」が障害として伝えられています。

 

他方で、私のような、AC型とされる場合、

「学童期からのしつけ」の功罪で、実は考えすぎていて病的になることもあります。

 

自分が無意識で歪みがちなことをあげてみます。「認知の歪み思考」

1.雑なことへの心配

 

メモやファイル、私の手持ちのいろいろなものを、

ちらっと、(私をまだわからない)他の方に見られた際に

 

・自分は、自分のために書いているが、他者に見られることは考えていない。

・「・・・という自分全体について、他者は無意識で感じるから、雑な人間であると(思われている)」

・「私はそう思われても良いけれども、私が所属をしたり代表をしている会社全体も、そのように(見られる)」ことは、「会社に関わる他の人にとっては、不名誉や問題になる可能性もある。」と認知します。

考えるのではなく、わきたつ。でも、面倒な自分の気づきがある。

 

これを抑止するため、つねに心がける取り組みです。

1.ACを抜き去るため、「ADHD全開で多動に演技」をしていつの間に、そのまま本来の自分に戻る。

2.「私は当事者な社長」を、周囲の社員がサポートをしている、ということを、社内・社外に認知される。

 

私の「認知の歪み」は、「空気を”短期的”に受け取ること」が原因で

a.ワーキングメモリが少ないこと

「たったひとつの事象で、展開をして先まで深く考えすぎてしまうが、”整合すること”に時間を要する。」

b.他者と私の距離感の自覚、自尊心

「精度が求められる業種の方から見たらどう思うのか。」

「多くの人は、見られることも前提にしているから」

「このような雑な人に対して、仕事を任せたらたまらない。と思われてはいけない」

一般的には、公私をくっきり分けて、シールや付箋を不規則にだらしなく貼ったりしない。

と思います。

私が社長であること、スケジュールがみっちりで土日がないことなど

長期的に、私の背景がわかれば良いし、難しい場合は、相性が悪いと思えば良い。

第一印象をよくしたいといった、ジャイアン的な思考見捨てられ不安が存在します。

 

「沖縄では(児童に接するからこそ振る舞いが)社長に見えないから、仕方ないなとか」

「社長の振る舞いは、児童と距離を作ってしまう」

「場面によっては、振る舞いを使い分けないといけない、その振る舞いは自分は嘘と思う性分」

ということを、ADHD的に瞬間的に展開をして考えすぎるのですね。

 

場面や出来事に対して、多くの人が考えたら疲れるであろう、深いことまで考えすぎてしまい

止まらないで、思考が加速することが病気です。

 

2.そのままな問題

自分は、診察によって、

「ADHDの方が認知前に悩むであろう問題」に一旦戻ることを目指していました。

自分が児童に向き合うことで、演技を超えて、そのままに戻れる。

楽しくて仕方がない!と思います。

 

ただ、「そのまま」な自分モードを崩さず、

多動で毎週、那覇と東京を往復をしていると、場面の切り替えが難しく、

初めての場面やご飯を食べたり、飲んでいる時でも、

「そのまま」モードで突入をする。

 

「自分以上に、全開な人が反応する」

「受け入れていなかったり、気づいていない方からは、激しいツッコミが私に向く」

ことが起こります。

 

それでも、

「(多分・・・ふるまいをしていて)この人は気づいている」と察してくれること。

先日も、そのようなケースがありました。

気づいてくださって、ありがとうございます(と伝えたいなと思います。)

 

以上、些細なことでぐるぐる考える禅問答なこの頃ですが、児童に向き合いながら

このような、Before / Afterを当事者会で話し合いたいなと思います。

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