沖縄とわたし

はじめまして、このプロジェクトの発起人のdjnagureoこと南雲玲生です。
 
私は、20代から沖縄に旅をすること数回。
沖縄には30回近く往復をしており、今は、移住のようですが、ほぼ沖縄におります。
 
沖縄は、自分の第二の故郷となりました。
いつも変わらぬ仲間もでき、
線バスを乗りこなし、自転車で島を半周をしたり。
 
私が、私に分からなかったこと。
今わかったことは、結果として、視覚や聴覚で「ノイズ」を常に受け取り、
心の中、思考だけが多動という障がいを持っていること、
表面上はわかりづらいこと
障がいは、処理の止まらない思考によって、周囲に合わせ過ぎたり、多くの人が当たり前で普通にできることを、振る舞うことで合わせる。
結果、午後の虚脱やパニックが起こること、多発しました。
また、多くの人よりも、没頭・集中をすると、時間が過ぎることが早く、気づいたら、歳をとり、体調に気づかず、夏が冬になっていることもよくありました。
 
私が沖縄にいる理由。
当事者でもあり、精神科医でもある後藤健治先生に、
自分の問題や無意識なことを紐解いでいただきました。
深夜にまでつづきます。
いろいろな世の中の事象について、
私が認知していること、実際は、「こうであろうこと」とのギャップや認知の歪みを研究いたしました。
「メタ認知」ともいいますが、
長いあいだ、私は・私を客観視して感情が乏しくなり生きてこようとしたこと。
他方で、本当のそのままの自分に回帰すること。

 

自分は心配になり、
専門家に聞き、自分も学んでみて「やはりそうだった」ことがわかりました。
 
後藤先生は、独自にADHD型のACと。
不注意や思ったことをすぐに言わないトレーニングを自分でおこなっており、常に考え続けて感情に乏しかったのだと考えています。
他方で、興味や関心に集中をして学べる環境が子供の頃あり、
その部分は両親の育て方や周囲の環境によって、就労に困りませんでした。
自分は、先生から指導を受けたことを当事者が当事者を育てるとして、たくさんの方に伝えていきたいと考えております。
ただし、私が感じたこと
「結果として、私のように個性や凸凹によって、特殊な環境で仕事をしている人は、妬みにもなる。」ことを考えると、慎重に思います。
よって、児童に当事者が経験を教えることとして、じっくり進めていこうと考えています。

 

 
今でも、私は、沖縄で、休まらぬ思考でも、じっくりゆっくり読書をしたり
仲間と語らうこともあります。
沖縄の「なんくるないさぁ〜」と、南国のゆったり感。
音楽を作っていた頃は、多くのミュージシャンが沖縄に惹かれること
複雑に思いましたが、考えたら自分も同じ道を歩んでいました。

 

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