ロンドンにて・・・Advice For The Young At Heart

 

世界一周旅行の後半、ゆっくりと回っている。ヨーロッパを周遊したのちに再びロンドンに戻った。

旅の前半、ニューヨークで機材トラブルで、乗り継ぎ後の飛行機に乗れずに、スケジュール変更となったが、航空会社の手違いが重なり、全ての飛行機のチケットがキャンセル扱いとなり、私の予定のチケットが全部ないことになっていた。クレームを伝えて再発行して取り戻したが、先のことを考えず、多動っぽく事故も楽しみ、場当たり的・先のことを考えないように努力をしている。

知能検査の下位項目の絵画配列が異様に高く、将来の想像や先読みが強すぎるので・・・。

ロンドンのヒースロー空港に到着して、郊外の大学へ鉄道で向かった。車窓は、田園地帯を抜けて郊外の駅へ。日本ならば、東京から静岡県に向かう感覚かもしれない。

Advice For The Young At Heart / Tears for fears

僕は、頭の中が勝手にBGMが流れる人だ。ロンドンでは28-30年ほど前の高校生の頃聴いた、Tears for fearsのAdvice for the young at heartがずっとループ状態だった。

アドバイスフォーザヤングアットハート。歳を取っていく大人から、若者へアドバイスといった、ドーユーラボの自分のような立場の歌詞で、切ない曲だ。英語の意味が難しくてよくわかってはいないが、当時よく聴いていたなと思って、ずっと回想をしている。

この曲の1989-1990年は、今に通じる電子楽器やスタジオ機材が揃い始めた頃で、スタジオもデジタル録音、音楽機材もデジタルサンプリングになった。今は、パソコンでシミュレーションできるが、当時は、音の数だけシンセサイザー(機材)を積み重ねていた。この曲は、生風なストリング、ウッドベース、オルガン、ティンパニ、ハープなど、オーケストラ調のサウンドが満載だ。

僕は、歌詞から繰り広げられる、人生の無念さとも前向きな気持ち、でも歳を取っていく切なさの表現を、音楽のサウンドやアレンジがぴったり合わせられていると思っていて、大好きな曲だ。

soon…

Advice for the young at heart 
Soon we will be older 
When we gonna make it work? 

今でも、歳はとりたくないと思っているし、今できることは何だろうと自分に自問自答をしている。

 

サウンドとしては、ピアノを中心に作曲をされていて、コード(和音)が繊細でメロディアスだ。サビの部分は、ティンパニのパーカッションでの勢いづけと、ハープのサウンドによって、何か人生の重みや深さを表現しているように思う。

アレンジは、ストリングスのサウンドのダイナミックなコントロールができていて、ボーカルと綺麗にマッチしている。今は当たり前だけれども、生のストリングスのような美しいトリム奏法が打ち込みで再現されているのだ。ポップスに、オーケストラ編成風なサウンドが加わっていて、ずいぶんリッチなサウンドになっている。

 

高校生の頃を思い出した

この楽曲の頃に僕は作曲を始めている。日本はバンド系なロックが全盛だったが、打ち込みでポップスを作っていた。まだまだ初心者だったけれども、UKのポップス/ロック/クラブシーンが大好きで、いろいろな音楽を聴いて、コンピュータに打ち込みをしながら作曲をしていた。

だれもが、カバーやコピーから始まって、テクニックを上げていくものだと思う。今考えれば、僕は編曲家(アレンジャー)向きだったのかもしれない。テクノのような、打ち込みな時期から、生のアレンジやキーボードプレイを高校生の頃から少しずつわかっていったので、このころのトレーニングが大人になって役に立ったのだなと思う。

音楽は、「メロディや歌詞といった、文字や楽譜でかける可視化できる表現」と、「言葉にできない無限の音の空間」があって、僕の場合、後者で音楽が頭に浮かんだ。

頭に浮かんだ全体的な音を楽譜に書いたり、コンピュータに打ち込むと、自分に納得できる曲がかけた。僕は、頭に浮かばない時は、機械的に曲がかけたので、曲がかけない悩みはあまりないが、あまり良い曲ができたことがなく、やはり頭にイメージが必要なのだ。

 

コンピュータで表現が広がった時代

僕が作曲を始めた、1989年ごろというのは、電子楽器の表現が広がったことと、世界の音楽がテレビやラジオで紹介され始めた。一般の人には難しかったが、高いお金を出せば、とても高品質なサウンドを手に入れられた。デジタル録音の技術も一般化してきたころだ。

音楽ジャンルも、特にフランスの移民が増えたことにより、アフリカや中東の音楽がたくさんの人に聴かれるようになった。普段は聴くことができない、アフリカの音楽や中東の音楽を、著名なミュージシャンが発掘をして、融合させていく時代だったのだ。

国内でもThe BOOMも坂本龍一も沖縄民謡とポップスを融合したころだ。僕は、当時のみなとみらいでウォーマッドという、ワールドミュージックのイベントが開催されて、聴きに行ったりもした。

この頃から、シンセサイザーのサウンドによって、普段は演奏ができない、沖縄民謡の三線でも、クラシックのバイオリンも、トランペットも、鍵盤で演奏できるようになった。世界中の色々な音楽の要素を、ロックやポップスに融合することができたのだ。

 

言語的なイメージ

今の自分の頭は、想像の空間よりも、言語や論理的な思考の方が強いので、音楽を作っていたころの自分は、遠い昔で全く別人な感覚もあって、あまり良くない感じでもある。理由はよくわからないけれども、想像や空想が強いと社会適応できない気がする。

それでも、場所にいると、頭に音楽が浮かんだりするし、音楽を作っていた頃と比べると、音楽を純粋に楽しんでいる気もする。Advice For The Young At Heartのように、昔の自分はすぐに歳をとって、今の自分があり、昔は昔、今は今。でも、今が一番良いのではないか。そのように思っている。

そして、かつての自分のような児童に、道が開けることを伝えている。そのように思うわけだ。

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